田月仙(声楽家) ・国を越えて、歌に生きる
田 月仙(チョン・ウォルソン)は、在日韓国人2世として、東京で生まれました。 デビューして40年、この9月記念公演オペラ「カルメン」を上演します。 音楽好きの父親の影響もあって幼いころから歌が大好き。 4歳のころにピアノと歌を習い始め、夢は芸術家になる事だったと言います。 しかし、朝鮮学校卒業の資格では音楽大学の受験が出来ず、門戸を開てくれた大学に入学し、オペラの道に進みます。 そしてオペラ歌手として魂を揺さぶられるという歌唱力、表現力が高く評価され、広く世界で活躍しています。
北朝鮮の当時の金日成主席の前で歌ったり、韓国ではソウルで600年記念のオペラ「カルメン」の主役で初めて南北で公演する。 ソウルでは初めて日本語の歌を歌い、サッカーワールドカップの時には、日韓の首脳の前で歌い、まさに南北、日韓歌でつないできたという経験がある。 オペラの製作、企画、取材、主演もして、2007年「海峡のアリア」でノンフィクション大賞優秀賞受賞する。 歌に込めた平和への思いが強い。
オペラ歌手になって、様々な国で、一アーティストとして芸術を愛し、心からの歌を歌ってきましたが、オペラの舞台以外に、両親の故郷韓国、私は日本の東京で生まれ育ったので、韓国と日本の国に対しての思いが強く育まれてきました。 在日コリアン一世の生活の背中を見てきて育ったし、私自身いろんな国で歌いながら、いろんな思いを持っていながら、引き裂かれているいろんな現実を目で見てきましたので、それが徐々に私の歌になって、心からの平和への祈りが心の底から湧き出るようになったと思います。
作者がわからない幻の歌「高麗山河わが愛」は本国でもほとんど知られていない歌でした。 この歌を私が日本に持ち帰って、初めて日本で披露することになります。 この歌が世界に広まって行って、作者が在米コリアンの盧光郁(ノ・グァンウク)が作ったことがわかり、何故この歌を作ったのかなどを聞いて、再び韓国を訪れて披露しました。
*「高麗山河わが愛」 歌:田月仙
この歌を日本語に私が訳して「山河を越えて」というタイトルで、日本語のヴァージョンでも歌っています。(編曲も) 初めて韓国を訪れた時に、沢山買い求めたカセットの中にこの歌がありました。 素朴な歌詞にとても惹かれました。 祖国朝鮮が南北に分断されていて、国土だけではなく歌さえも引き裂かれている現実を見てきたので、この歌は私が歌ってゆくべきだと直感的に感じ歌ってきました。 (歌に出会ったのは30年前) アメリカ公演があった時に盧光郁(ノ・グァンウク)先生を訪ねて、いろいろなお話を聞かせていただいて、更に思いを深くしました。 日本、韓国のメディアなどでさらに世界に広められて行きました。 盧光郁(ノ・グァンウク)先生は歯科医として生活しています。色々な不幸が全て南北分断によって起きており、私が感じていた事と全く同じでした。
16歳の時に父親の事業が失敗し、家族はバラバラにならざるを得なかった。 一人東京に残る。(高校2年生) ピアノの弾き語りのアルバイトを見つけて、高校に通いました。 子供のころから舞台には立っていました。 大学受験の願書に田 月仙(チョン・ウォルソン)と名前を書いて行ったら、受付で「受験資格がありません。」と言われてしまいました。 本当に吃驚し、大きなショックを受けました。 受験が出来る学校を推薦してもらって、受験をして桐朋学園大学短期大学部芸術科に入学出来ました。 高く評価していただき、オペラ歌手の道に進みました。
オペラの企画、制作、主演をこなすことになります。 祖国と日本を歌でつなげるという事が、どうしたらできるのだろうと思った時に、「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」というオペラを作る決心をしました。 モデルは朝鮮王朝(李王家)の最期の皇太子・李垠に嫁いだ梨本宮方子(李方子)。 私が出来ることはこれだと思いました。 2015年は、日韓国交正常化50周年で、これに向てオペラ制作を全身全霊を込めて行いました。 2015年新国立劇場で初演をしました。 全国からいろんな感想を手紙で頂きました。 9回再演をして、誇りに思っています。
梨本宮方子(李方子)妃はあるときに新聞記事で婚約を知ったそうです。(政略結婚) 二人の間に真実の愛が育まれるが、終戦後は全てをなくしてしまう。 皇太子・李垠は朝鮮籍でも日本籍でもなく、梨本宮方子(李方子)妃は皇太子・李垠を何とか韓国に帰そうと思う。 何とか二人で韓国に渡る。(国交正常化前) 皇太子・李垠は病に侵されほとんどお話もできないような状況だった。 反日が激しいなか、李方子妃は 韓国の不幸な子供達のために学校を作る為に福祉活動をして、皇太子・李垠が亡くなられても、一人になっても韓国に残り、生涯を福祉活動に奉げた。 段々理解されて行って、最後には「韓国の母」とまで言われるようになる。 李方子妃が亡くなられた時には、準国葬の様に、王様よりも凄いと思われる様に葬列が何kmも続いた。 それをオペラにして、私が15歳から87歳までの李方子妃を演じました。
これはそのまま歴史を話しても、なかなか共感できない部分が日韓にはあるので、お二人が心からお互いを理解し合って、助け合って、愛をもって生涯を尽くしたという事と、お二人はまさに民族を背負っているので、自分の気持ちを出せないが、オペラだったらお二人の気持ちをダイレクトに心の底から表現して、人々に伝えられるのではないかと思いました。 皆様に助けられ、40年、ここまで来ました。 9月30日に「カルメン」のカルメン役で行います。 祖国韓国のオペラハウスでデビューしたのも「カルメン」で、ヨーロッパでデビューしたのも「カルメン」なので思い入れがあります。 「トスカ」も私の人生に重なる部分もあり、「トスカ」、も演じたいと思っています。
*「トスカ」から「歌に生き、愛に生き」