奥田佳道(音楽評論家) ・〔クラシックの遺伝子〕
世界を舞台に活躍する日本の若手、中堅のアーティストがいます。 指揮者の山田和樹さん、ロンドンのプロムナードコンサートで大成功して、ボストン交響楽団の夏の音楽祭、タングルウッド(小澤征爾さんが若い時に活躍した音楽祭)でも成功しました。 ピアニストの藤田真央さんも国際的な音楽祭で大活躍しています。 この夏クリーヴランド管弦楽団と共演して素晴らしかったというニュースが届いています。 一方で、1950年代から日本のクラシック界をリードしてきた外山雄三さんが7月11日に92歳で亡くなりました。 ドイツ、オーストリアを得意とした指揮者の飯守泰次郎さんが8月15日に82歳で亡くなりました。
外山雄三さんは1931年5月10日生まれ、東京音楽大学(現在の東京芸術大学)で作曲を学び1956年(昭和31年)NHK交響楽団でヴェートーベンの交響曲第5番「運命」を指揮してデビューしています。 その後ウイーンに留学,NHK交響楽団の正式指揮者のほか大阪フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団及び神奈川フィルハーモニー管弦楽団などで要職を歴任しました。 オペラの指揮、若い指揮者を発掘するコンクールの審査委員長としても活躍しました。 外山さんの遺伝子を引き継いだ人が沢山います。 作曲家でもありました。 日本の民謡を巧みにオーケストレーション、管弦楽に編曲した「管弦楽のためのラプソディー」で有名です。
*「管弦楽のためのラプソイディー」 作曲:外山雄三
オーケストラを身に付けろという事で、その教育を受けた外山さんでもあります。 外山さんは職人性を大事にするかたで、音程が少し間違っていたりすると、容赦なく指摘して、音楽の高いところを目指していました。 それは愛情の裏返しです。 名古屋フィル交響楽団の音楽総監を勤めていた1983年に、副指揮者を募集して、その時に採用されたのが広上淳一さんです。 広上さんが1991年にノールショピング交響楽団首席指揮者に就任した際、外山さんに門出のために曲を依嘱しました。 広上さんの両親が富山出身なので「こきりこ節」を主題にした新曲を書いたという事です。
*「ノールショッピング交響楽団のためのプレリュード」 作曲:外山雄三
広上さんはノールショッピング交響楽団の首席指揮者就任披露コンサートの一曲目に演奏しました。
飯守泰次郎さんは1940年9月30日生まれ。 桐朋学園で。斎藤秀雄に学び、ミトロプーロス国際指揮者コンクールに入賞。のちにカラヤン国際指揮者コンクールに入賞。 1970年にウイーン交響楽団を指揮してヨーロッパにひのき舞台に名乗りを上げました。 ドイツでの活動が長くバイロイト音楽祭の音楽助手をつとめる。 日本国内では名古屋フィルハーモニー交響楽団常任指揮者、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団常任指揮者、関西フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者などを歴任。 2014年から2018年まで新国立劇場オペラ部門芸術監督として活躍、日本のワーグナー演奏史に大きな軌跡を残し、数々の賞を受けることになる。
*「タンホイザー」の序曲から 作曲:ワーグナー 指揮:飯守泰次郎
私が一番忘れられないエピソードは、リハーサルなどで「僕の指揮に合わせないでください。」という注意です。 音楽はもっと高い、深いところがあるので、それをみんなで聞き合って、意識して作ってゆく、私はあくまでそこにいる導く一人で、私が指令をだした、1,2,3のタクトには合わせないでください。」と言っています。 飯守先生の指揮は見やすいものではないんですね。 飯守さんは高いところに自分の理想とするワーグナーやブルックナーの像があって、そこに皆で苦しみながら、高みにご一緒しましょうというのが、飯守さんの音楽世界です。
*「神々の黄昏」(『ニーベルングの指環』四部作の4作目)から、「ジークフリートのラインへの旅」の場面。 作曲:ワーグナー 指揮:飯守泰次郎
* 「ワルキューレの騎行」 作曲:ワーグナー 指揮:飯守泰次郎