2023年9月14日木曜日

三浦恒祺(洋画家)・「つるおか被爆者の会」代表)・平和への祈りを絵筆に託して

三浦恒祺(洋画家)・「つるおか被爆者の会」代表)・平和への祈りを絵筆に託して 

広島に原爆が投下されてから78年となりました。  今日は山形県鶴岡市の洋画家、三浦さん(93歳)にお話を伺います。  三浦さんは今尚、自らが描く絵を通して、原爆の悲惨さや平和への願いを伝え続けています。  その原点となっているのは、自身の広島での捕縛体験です。  葛藤を抱きながらも描き続け、「原爆の警鐘」と題した連作は46点にものぼります。78年前の被爆当時の記憶、そして絵に込められた思いを伺います。 

5歳まで東京にいて、父親の転勤で家族5人で広島に転居しました。  広陵中学校ヘ通いました。  1年間は勉強がありました。  2年生からは授業がなくなりました。     学校の近くに陸軍糧秣支廠工場があってそこに勤労奉仕で行っていました。   昭和20年8月6日も事務所の机、椅子などの事務用品を郊外に移す作業をしていました。      トラックに乗って友達と行きました。   横川の駅を通り過ぎて、爆心地から約3,5kmの地点への運ぶ作業でした。  到着して8時15分、ピカっと光りました。  ちょっとして爆音が響きました。  通ってきた広島の街に炎が眺められました。  そして入道雲のような雲の塊がもくもくと上空に不気味に盛り上がるのを眺めて、何が起こったんだろうと不思議に思いました。

トラックに乗って引き返すのですが、荷台が高いので周囲の状況は良く眺めることができました。   市内に近づくにつれて、建物のガラスが割れ、瓦屋根の瓦が垂直に立っていていました。(爆風に押されて立っていた模様)  もっと近づくと建物が道路に倒れ、電柱が倒れ、トラックが道路を走れなくなりました。  歩いて市内に入って行きました。  怪我をした方、やけどを負った方などが集まって休める場所のがあり、その人々の黒い塊がありました。  その脇を通ると焼けただれた手を差し伸べて「水下さい。」と言うんです。   「すみません 水は持っていません。」と言葉をかけて通りました。  あの時一滴でも水を差し上げて入ればと、今でも一番頭から離れられません。  

同級生と別れて自宅に戻りました。  家は全壊していて、残った柱に張り紙がありました。  父親の書いたメモで、ここに避難しているという内容で、避難場所に行きました。 手作りのバラックを建て、家族5人幸いに助かりました。   水道、電気、トイレもない状況でした。  軍隊の残飯みたいなものを大きな鍋に入れて、行列ができ、避難場所の雰囲気が残酷でした。   泣き声とか、亡くなった方への読経とか聞こえてきました。  終戦の日、天皇陛下のお言葉を聞いて、郷里に帰ることになりましたが、無感情でした。

小学校から絵が好きでした。   荘内に戻って来てからは、庄内の美しい自然、風景を主体にして描いていました。   父親が油絵の道具を買ってくれました。  高校をでて就職をし、絵を描き続けました。   原爆の絵の第一作目が昭和36年です。(被爆後16年)   抽象画でした。  被爆者の姿をとても描くことが出来なかった。  キャンパスのほとんどが黒で塗りつくされていて、渦を巻いているような感じの絵です。      黒は黒煙、赤は炎、黄色は閃光、原色を使ってすべてのものを破壊するという感情をキャンパスにぶつけました。  写実で描きたかったが、余りにも残酷で出来なかった。

その後原爆の絵を描けなかった。  第二作目は第一作の35年後でした。(65歳)  被爆手帳を取得して、鶴岡の被爆者の会に入って、集まるたびに残酷な話を聞いたり、救済の方から残酷な話をいっぱい聞きました。  第二作目は縦が1,2m横が90cmの作品です。  ほとんどが、黒、赤、オレンジで原色に近い色で描かrれている。  右下には原爆ドームも描かれている。  破壊の形を表現したかった。  原爆の強烈さ、すべてを消滅する恐怖を描いています。  

近年の作品は明るい印象になってきている。  去年の4月の作品は、縦が1,3m横が60cmの作品です。  目立つのが水色、海と空が描かれている。  近作は破壊から復活という意味合いで、庄内の美しい自然と平和の現れという感じをメインにいれて、核のない平和な世界でありたいという願いを込めて描いています。  荘内と日本海の素敵な夕陽で平和と結びつけて描いています。    最近の特徴として金色の太陽が描かれているが、太陽は世界の公平に暖かい光を与えています。   光は差別をしない。 心に太陽を、そういう思いを込めて、描いています。   広島に壁画を制作するプロジェクトが出来、私の絵が壁画になると聞いて、私の分身が広島の地に新たに増えるという事は大変嬉しかったです。  昨年4月完成、縦が4m、横が24mの壁画。  世界にはたくさんの核があり、生ある限り描き続けていきたいと思います。