穂村弘(歌人) ・〔ほむほむのふむふむ〕 歌人 水原紫苑
穂村さんと水原さんはほぼ同世代、穂村さんが口語短歌、ニューウエーブ短歌の旗手と言われるのに対して、水原さんは古典文学や能、歌舞伎と言った伝統芸能に造詣が深く、文語や正字体の漢字を使い、端正な古典文法を駆使した伝統的和歌を受けつぐ新古典派と称されています。
80年代からのお付き合いです。 水原さんは1959年生まれ、神奈川県の出身。 高校生のころ朝日歌壇に採用され、短歌に熱中しました。 早稲田大学在学中の1981年にフランスに3か月滞在、大学院に進学してからは、現代短歌に興味を持ったりしながら、4年かかって終了、そのころ水原さんのその後を決定付けるような出会いがありました。 その一つが三島由紀夫の日記から歌人春日井建のことを知り、入門した事。 もう一つは学生時代から稽古を続けてきた能学に急速に接近した事でした。
1989年に刊行した第1歌集『びあんか』で現代歌人協会賞受賞。 歌人としての歩みを始める。 作家以外に評論やテレビ番組の司会を務めるなど、多方面で活躍しています。 2005年第7歌集『あかるたへ』で第5回山本健吉文学賞・第10回若山牧水賞を受賞。 2018年『えぴすとれー』で第28回紫式部文学賞受賞。2020年、歌集『如何なる花束にも無き花を』で第62回毎日芸術賞受賞するなど、受賞歴多数。 去年発表された第10歌集『快樂』は2020年から22年までフランスで読んだ歌を含む700首余りが収録されていて、第57回迢空賞及び第21回前川佐美雄賞受賞しました。
穂村:第1歌集『びあんか』の中から
「 まつぶさに眺めてかなし月こそは全(また)き裸身と思ひいたりぬ」 水原紫苑 月を裸身と感じたことはなかったので、この歌を詠んだとたんにその感覚が流れ込んできて、月こそが本当の裸身なんだと、射貫かれた感じです。
水原:月を見ていて痛いような感じがしました。
「殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中. へと赤蜻蛉(あきつ) ゆけ」 水原紫苑
穂村:赤蜻蛉は赤トンボのこと。 石に命があるという感覚、石の中に赤トンボが飛んでゆくように「行きなさい」と命じている。 想像を超えた世界。 最新歌集『快樂』にも石の歌がある。
*「石につばさつぎつぎはうるやさしさよ罪なき者ら惑星をされ」 水原紫苑
穂村:石に羽根が生えて罪のない石たちはこの惑星を去れ、惑星に残されるのは人間、惑星と共に人間も滅びればいい、一種の怒りというか。
*「いきものはぶからぞさあれ石もまた我がうからなる無生物に愛を」 水原紫苑
穂村:うから=家族 ここでは石が家族。 母子愛、親子の愛みたいなものが一番よくないと紫苑さんは言っていました。 普通は自分から遠くなるほど愛は薄れる、だから戦争とか殺し合いが起きる。 それが逆転すれば、自分から遠くて愛せそうもないものへの愛が一番強ければ、人間はもっと崇高な存在として生きられる、という事を紫苑さんは言っています。
水原:自分が人間だという自覚が薄いんです。 犬と自分の境界もはっきりしない。
「体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ」 穂村弘
「呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる」 穂村弘
水原:第一歌集『シンジケート』.の歌。 体温計が口に入っているので「ゆひら」と発音する。 物凄い愛の歌です。
「呼吸する色の不思議」が「火」だという事も物凄い発見で、印象の深い歌です。
二句目は心の中の映像みたいになっていて、紫苑さんを見ているとこの歌のイメージが重なってくる。
「アトミック・ボムの爆心地点にてはだかで石鹸剥いている夜」 穂村弘 「ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。」 穂村弘
水原:アトミック・ボムとは日本人は言わないだろうとか、いろいろこの歌は批評がありました。 剥かれてゆくのは自分だし、原爆の恐ろしさの比喩なんですよね。 段々詠んでいくとこの歌は凄いと思います。
穂村:地点は地上ではなく空中なんですね。 昔はホテルでは小さな石鹸があり、それを剝いていた時に、イメージがかぶった歌ですね。
水原:「ハロー 」は人間ではないものに呼び掛けている。 「ハロー カップヌードルの海老たち。」が泣かせます。
穂村:カップヌードルが地球だとするとエビは我々でボロボロ感がある。
穂村:「姿」という歌集から
*「福島や参加すおもく鳥獣虫魚砂一粒まで選挙権あれ」 水原紫苑
「砂一粒まで選挙権あれ」意外であるけれどもグウの音も出ない。
*「今しこむゴーヤー革命さみどりの光のつるもて議事堂をうめよ」 水原紫苑
沖縄を象徴するゴーヤー革命が起きて植物が議事堂を占拠してゆく、と言うイメージ。
「月光がお菓子を照らすおかあさん冷たいけれどまだ柔らかい」 穂村弘
水原:「水中翼船炎上中」のなかのお母さんの挽歌のなかの一連で、「悲しい」という事は全然言われてなくて、「冷たいけれどまだ柔らかい」という死というものの絶対的な感じです。 お母さんが月光に照らされる柔らかくて冷たいお菓子の様に私には思われて、普通の悲しみとはちょっと違う、絶対的なものを見たというような感じを受けました。
「えぴすとれー」という歌集から
*「天国のコンビニのおでん三角形が祝福さるる喜びありや」
水原:おでんは不可解です。
*印は正しく記載されていない可能性があります。