森川智之(声優・ナレーター) ・〔時代を創った声〕
トム・クルーズ、ユアン・マクレガーなど多くの俳優の吹き替えをはじめ、アニメ「クレヨンしんちゃん」の父野原ひろし役や「鬼滅の刃」の親方様などで知られています。 トム・クルーズ本人に日本の吹き替え声優として公認されてから20年になります。 光栄に思っています。 レギュラーとしてアニメに出演したのが、1989年の「ダッシュ!四駆朗」です。 当時ミニ四駆は凄いブームでした。
神奈川県の出身で、小さいころは身体が弱かったです。 野球をやったり柔道を習ったりしました。 中学では軟式テニスをやって、水泳も得意だったので入賞したりしていました。 水泳推薦で日本体育大学荏原高等学校に入り、水泳部には入らずにアメリカンフットボール部に入りました。 高校1年の時に頸椎損傷という大けがをしてしまいました。(今でもリハビリしています。) スポーツはやれずに行く先どうしようか考えていました。 友人から「声も大きいし、しゃべりも旨いから声を使って、スポーツに関わる仕事をすればいいんではないの。」と言われました。 スポーツの実況アナウンサーを志しました。 専門学校を調べたら声優コースがあることとが判りました。 声優の道に進むことにしました。 勝田声優学院に入りました。(父親は大反対でした。)
お芝居に関しては、私はずぶの素人だったので、追いつき追い越せに大変でした。 同期に、高木渉、三石琴乃が居ました。 グループを作って外でお芝居の発表などをしました。舞台の勉強は大切だと思って勉強しました。 自分で劇団を作って、思いを同じにする後輩も入って来て、年に2,3回舞台を行いました。 演出、音楽、照明とかも自分でやって、それがいい勉強になりました。(デビューして2年後ぐらい) 1989年に「ダッシュ!四駆郎」、1992年に「宇宙の騎士テッカマンブレード」で初めての主役をやりました。 野沢雅子さんとは近所だったので、デビュー以前から知っていました。 プロとしての心構えなど全部教えられました。 野沢雅子さんの夫の塚田正昭さん共々教わって贅沢でした。 吹き替えの声優としての技術なども学びました。 コードのついたヘッドホンで、一つのマイクに何人も関わるのでコードがこんがらかってしまうので大変でした。(今はワイヤレス)
トム・クルーズの吹き替えは1999年に日本で公開された「アイズ ワイド シャット」(VDV収録用) オーディションに受かって、面談があると言われました。 「監督のキューブリックはどうか」、と助監督から質問されました。 いろいろ話すなかで、「森川にやってもらいたいのは、普通の吹き替えではなく、トム・クルーズがゼロベースから台本を読んで、何回もやって来てOKをとったその過程を、森川も同じ様にやれ。」と言うんです。 吃驚しました。 ベッドシーンがあっていろいろ考えた末、当日アフレコの場所に行ったらベッドが置いてありました。 寝た状態と立っている状態では声の出し方も違うという事でした。 寝た状態でスクリーンを見ながら、台本をもってしゃべろうとしたが、台詞を全部覚えてやらないといろいろ問題が起きてしまうので、そうしました。 通常は一日でとれてしまうものを、僕だけで一週間かかりました。 そこで僕は声優として変わりました。(仕事への向き合い方など)
2003年の「ラストサムライ」から20年になります。 トム・クルーズ本人に日本の吹き替え声優として公認されて20年になります。 ユアン・マクレガーなど他の吹き替え俳優とでごっちゃになることはないです。 若い声優へのアドバイスとしては、日本語を扱う仕事なので、一番大切なのは表現をするための国語力、と台本を読む力(読解力)が大切だと思います。 声優のバトンを繋ぐ役割をしていきたいと思っています。