2023年9月3日日曜日

森川智之(声優・ナレーター)      ・〔時代を創った声〕

 森川智之(声優・ナレーター)      ・〔時代を創った声〕

トム・クルーズ、ユアン・マクレガーなど多くの俳優の吹き替えをはじめ、アニメ「クレヨンしんちゃん」の父野原ひろし役や「鬼滅の刃」の親方様などで知られています。    トム・クルーズ本人に日本の吹き替え声優として公認されてから20年になります。    光栄に思っています。   レギュラーとしてアニメに出演したのが、1989年の「ダッシュ!四駆朗」です。  当時ミニ四駆は凄いブームでした。  

神奈川県の出身で、小さいころは身体が弱かったです。  野球をやったり柔道を習ったりしました。  中学では軟式テニスをやって、水泳も得意だったので入賞したりしていました。  水泳推薦で日本体育大学荏原高等学校に入り、水泳部には入らずにアメリカンフットボール部に入りました。  高校1年の時に頸椎損傷という大けがをしてしまいました。(今でもリハビリしています。)   スポーツはやれずに行く先どうしようか考えていました。 友人から「声も大きいし、しゃべりも旨いから声を使って、スポーツに関わる仕事をすればいいんではないの。」と言われました。   スポーツの実況アナウンサーを志しました。   専門学校を調べたら声優コースがあることとが判りました。   声優の道に進むことにしました。   勝田声優学院に入りました。(父親は大反対でした。) 

お芝居に関しては、私はずぶの素人だったので、追いつき追い越せに大変でした。    同期に高木渉三石琴乃が居ました。  グループを作って外でお芝居の発表などをしました。舞台の勉強は大切だと思って勉強しました。  自分で劇団を作って、思いを同じにする後輩も入って来て、年に2,3回舞台を行いました。  演出、音楽、照明とかも自分でやって、それがいい勉強になりました。(デビューして2年後ぐらい)   1989年に「ダッシュ!四駆郎」、1992年に「宇宙の騎士テッカマンブレード」で初めての主役をやりました。  野沢雅子さんとは近所だったので、デビュー以前から知っていました。  プロとしての心構えなど全部教えられました。  野沢雅子さんの夫の塚田正昭さん共々教わって贅沢でした。   吹き替えの声優としての技術なども学びました。       コードのついたヘッドホンで、一つのマイクに何人も関わるのでコードがこんがらかってしまうので大変でした。(今はワイヤレス)   

トム・クルーズの吹き替えは1999年に日本で公開された「アイズ ワイド シャット」(VDV収録用)  オーディションに受かって、面談があると言われました。 「監督のキューブリックはどうか」、と助監督から質問されました。  いろいろ話すなかで、「森川にやってもらいたいのは、普通の吹き替えではなく、トム・クルーズがゼロベースから台本を読んで、何回もやって来てOKをとったその過程を、森川も同じ様にやれ。」と言うんです。  吃驚しました。  ベッドシーンがあっていろいろ考えた末、当日アフレコの場所に行ったらベッドが置いてありました。  寝た状態と立っている状態では声の出し方も違うという事でした。  寝た状態でスクリーンを見ながら、台本をもってしゃべろうとしたが、台詞を全部覚えてやらないといろいろ問題が起きてしまうので、そうしました。   通常は一日でとれてしまうものを、僕だけで一週間かかりました。  そこで僕は声優として変わりました。(仕事への向き合い方など)    

2003年の「ラストサムライ」から20年になります。  トム・クルーズ本人に日本の吹き替え声優として公認されて20年になります。  ユアン・マクレガーなど他の吹き替え俳優とでごっちゃになることはないです。   若い声優へのアドバイスとしては、日本語を扱う仕事なので、一番大切なのは表現をするための国語力、と台本を読む力(読解力)が大切だと思います。   声優のバトンを繋ぐ役割をしていきたいと思っています。