2023年9月5日火曜日

中村歌六(歌舞伎俳優)           ・播磨屋の芸を次世代へ

中村歌六(歌舞伎俳優)           ・播磨屋の芸を次世代へ

重要無形文化財「歌舞伎脇役」の各個認定保持者(人間国宝)に決定。  文化庁から電話で連絡がありました。(正式発表は7月21日 7月20日は父の50回目の命日)  感慨深いものがありました。

1950年生まれ、初お目見えの記憶はないです。(4歳数か月)  初代吉右衛門の叔父さんの一周忌のの追善興行で初舞台をさせて頂きました。  勘三郎の叔父様が大叔父に当たるので面倒を見てくださって、楽屋も一緒に入れていただいて、一から全て指導していただきました。  父親は二代目中村歌昇、歌舞伎からは引退して脚本を書いたり、テレビ映画の監督をしたりしましたが、48歳で亡くなりました。  萬屋錦之助、中村嘉葎雄が叔父になります。  錦之助公演が歌舞伎座でありいろいろ教えていただきました。   父親がいないなかで、いろいろな方から教えていただきました。 

高校時代には、敷かれたレールの上を進んでいいのかどうか、悩んだこともありましたが。  21歳の時に播磨屋から萬屋にかわりましたが、特に気にはなりませんでした。 祖父が萬屋にという思いがありましたが、亡くなってしまって(1973年に父親が亡くなる。)、錦之助の叔父が萬屋と改名しました。  1981年に「一條大蔵譚」の一条大蔵卿で五代目中村歌六を襲名する。  周りは雲の上のような人ばっかりでした。  

2010年に播磨屋に屋号を戻すことになりました。 60歳になって播磨屋に屋号を戻すことになりました。(初代歌六が播磨屋を創立)  気持ちが凝縮されて型に入って行かないとそこには嘘が生じる、とよく言われました。  吉右衛門さんとは「沼津」(伊賀越道中双六~沼津   伊賀越道中双六は日本三大仇討の一つ)が印象深いです。  三代目歌六と初代吉右衛門の叔父様が二人で演じて評判になった演目です。   前半はお笑いがあり後半は今生のお別れがあり、落差の激しい芝居です。  「伊賀越道中双六」の「岡崎」というのも国立劇場でさせていただきました。  資料がほとんどなくて吉右衛門の叔父さんと相談して作ったものです。 

初舞台から68年、「秀山祭」の見どころとしては、「金閣寺」の松永大膳(天下を乗っ取ろうとする悪人)をさせていただきますが、スケールの大きな役なので、難しいところがあります。 雪姫を今回は児太郎君と倅の米吉がダブルキャストでさせていただきます。  米吉は去年「ナウシカ」でも主演をさせていただきまし

た。  米吉は最初菊之助さんに稽古をしてもらって、最後に玉三郎さんにもう一回見ていただくという形になっています。  教わり上手になりなさいとは言っています。  大学に入った時に「役者にしてください。」と言ってきました。   女形になりたいという事を言ってきました。  歩き方から教わり始めました。

「菅原伝授手習鑑 車引」は弟と甥っ子たちと一緒に出演します。 人間国宝になると後輩を育て上げなくてはいけないという事になっていますが、自分自身が発展途上中なので、若い人を育てるという事は中々できないと思いますが、努力していきたいと思います。    「一生修行 毎日初日」という言葉がありますが、一生修行を続けて行きたいと思います。