2019年11月19日火曜日

めぐみ(芸者・置屋女将)         ・八王子の花街復活

めぐみ(芸者・置屋女将)         ・八王子の花街復活
東京八王子市の生まれ、22歳で芸者になりました。
芸事は好きだったようですが、三味線や日本舞踊のの稽古でようやく自分の居場所を見つけたといいます。
めぐみさんは身に付けた芸をたくさんの人に見てもらいたいと、お座敷にとどまらず八王子祭りに参加して町内会の仲間を増やしたり、芸者募集のポスターを街角に貼るなど斬新な手法で支援の輪を広げました。
八王子市も織物業で栄えた当時の花街を復活させようと動き出し、石畳や黒塀の復活に取り組みました。
めぐみさんは数年前に放送されNHKBSドラマに出演され、八王子の花街の知名度は一段と高まりました。
新しい観光資源として八王子の花街復活の活動をする芸者で、置き屋の女将めぐみさんに伺いました。

弓張提灯、芸者衆の名前が入った提灯です。
建物は築75年になり、置き屋として使っています。
三味線、歌、お茶のお稽古などもできます。
お化粧の部屋、着替え、住み込みの方の部屋もあります。
昔の建築の名残が残っています。
今は9名の芸者がいます。
八王子全部では19人になります。
置き屋は7軒になります。
昨日も昼間に15,6人の女子会があり芸者さん3人呼んでいただきました。
お座敷体験とか増えたような気がします。

会社員でしたが、和風のことに憧れがあり、料理屋さんのお運びのパートを始めて、芸者さんの置き屋のお母さんが仕事で来ていてその時に声をかけられたたのが初めです。
何回か声をかけられて飛び込んでしまいました。
芸者さんになってからお稽古事をして毎日新しい発見がありました。
22歳ではいりました。
当時は若い芸者さんは一人もいませんでした。
周りからいろいろ応援していただきお客さんに育てていただきました。
三味線、日本舞踊は基本的なことと思います。
書道、お花、お茶、歴史の勉強、人とのコミュニケーションの勉強もしました。
ニュースとか最新のものは読むようにしていますが、お客さんがお話をすることは私たちの知ることのないこともいろいろあるので伺う事も特権になっていると思います。
芸者さんとしては専門的な何かがあったとしても、ひけらかすのではなくて上手に相槌を打てるように、お客様が会話が楽しくしていただけるような間を取り持てるような空気を作れれば良いなあと思っています。

まだまだやってみたい事が沢山あります。
身に付けた芸をたくさんの人に見てもらいたいとお座敷にとどまらず、街の中に持ち出すことになりました、
町会の皆さんと相談しながら、お祭りなどにも参加しています。
花街が縮小していく中で何とかしたいという思いと、芸者さんのことをもっと知ってもらえるのではないかと思いました。
大きなきっかけになったのは夏祭りの宵宮の屋台に芸者さんが乗って三味線、歌を披露したことでした。
最初は本当の手作りでいろいろ失敗談もありました。
知恵を出し合っていろんなことを改善して今まで来ました。
「黒塀に親しむ会」という後援会を作っていただきいろいろな芸者衆の催し、置き屋を出させていただくときの応援とか大変お世話になっています。
小学校の女性の校長先生がいろんな職業の人を呼んで、公開授業をしていてその一環で芸者さんを知ってもらいたいと相談が来ました。
4年生を対象に行いましたが、とっても楽しかったです。
3年間連続で呼んでいただきました。
病院の院長さんが自分でピアノを弾いていて、正月に芸者さんを呼んで「ロビーコンサート」をやろうという事になり15年続けています。

2011年東日本大震災の時に釜石の最後の芸者さんと言われた艶子さんが被災されて大事な三味線等となくしてしまって、駆けつけました。
中学校の体育館に避難されていて4月の最後に伺いました。
芸能も一流の方でいろんな方に教えていたそうです。
避難所で釜石の歌を私に教えてくださったんです。
周りの方も手拍子をしていただきました。
何か月に一度伺って踊りと歌を習いました。
当時84歳で今は亡くなってしまいました。
「これは仏の縁ね」、といっていろんなことを教えていただきました。
このことがドイツの映画監督の目に留まって映画化されて、出演することになりました。
市役所をまきこんで、応援団がひろがってきて、黒塀通り、石畳みにつながっていきました。
古い歴史のある街だからこその魅力が伝わっていけるように楽しみにしています。
地元の人たちといろいろの芸を楽しんでいきたいとも思っています。
見番も60年ぶりに復活しました。
八王子だから続けてこれたと思うし感謝の言葉しかないです。