2019年11月1日金曜日

高橋久美子(作家・作詞家)        ・音楽と言葉と私

高橋久美子(作家・作詞家)        ・音楽と言葉と私
高橋さんは昭和57年愛媛県生まれ、平成16年徳島県鳴門市にある鳴門教育大学在学中にロックバンド「チャットモンチー」にドラム、作詞家として加入、翌年平成17年大学卒後メジャーデビューを機に上京、平成23年に「チャットモンチー」を脱退します。
現在は作家、作詞家として活躍中です。
絵本の翻訳なども幅広く活動されています。

今は愛媛と東京を行ったり来たりしています。
メインは作詞家をしています。
幼少期は走り回って遊んだり、みんなを集めて先生役などをしたりしていました。
天真爛漫に思われましたが、小学校高学年ぐらいから人の中に入っていけなくなりました。
自己表現ができないような感じでした。
中学生ぐらいからはクラスで友達という様な人はいなくなりました。
そんな時に中学3年生の時に詩を書くようになりました。
点数ではない自己表現、正解も間違いもない世界があることを始めて思いました。
授業をボイコットするような子も詩を書く授業の時には参加して詩を書いて、先生から褒められたりしていました。
吹奏楽部でクラリネットもやっていました。
音楽と詩を一生懸命やっていました。
高校時代はますます学校へ行くのが嫌で学校を休んだりしました。
そんな時に詩を書くと自分が浄化されるような気がしました。

吹奏楽部でも当時名門だったところに通いました。
大学は鳴門に行って心が解き放された気がしました。
自分の弱さ、自分の思い通りに行かなかったことなどを詩に書いていました。
軽音部に入って楽譜を見ながらドラムをたたいていたらダサイと言われました。
1年生の時にはフィルハーモニー管弦楽団と軽音部に入っていましたが、いつの間にかフィルハーモニー管弦楽団はやめて軽音部だけになり、歌詞も書くようになりました。
ドラムの人口が少なくてほかのいろいろなバンドにも入ってやっていました。
「チャットモンチー」に入ったのは大学4年生の時でした。
「チャットモンチー」ではドラムと歌詞を担当しました。
歌詞が先で曲を作っていました。
大学時代は音楽と勉強で一日が60時間だったような気がしました。
大阪など関西に出かけて音楽を聴いてもらった方がいいということになって、3人で車で運転して寝泊まりをしたりしていました。
2005年にデビューして2011年に脱退しました。
半年後に依頼が来るようになり、歌詞をつくるようになりました。
若い人も年配の方でも人間の核の部分は変わらないのではないかと思いました。
脱退後は詩の朗読を自分でしていましたが、朗読合唱団みたいなものをつくって、歌うのではなくて声を楽器のようにして朗読をやり始めました、
「コール アンド レスポンス」 (会場の人たちと行う)

詩「湯舟」 朗読 (会場の人たちと行う)

詩「十年」 朗読
「背骨は真ん中で辛抱強く立つ楠木  まつげは先端で風に耐える小鳥
血は滝のように命を叫ぶ 落ち葉が重なって腐葉土ができるように
湧水が山際を滑り 海へたどり着くように 私の身体は地球だ
3652日洗って干してアイロンかけて又汚れて くたくたになって
破れて繕って 私の地球は何度も何度も再生する
そして今日も新しい朝の中で目を覚ます
ベッドから足のばし カーペットを踏みしめ3653本目の旗を立てる
10年 10年」