2019年11月29日金曜日

大竹しのぶ(女優)              ・ことばの贈りもの

大竹しのぶ(女優)              ・ことばの贈りもの
大竹しのぶさんは映画で本格的にデビューした後、第一線で仕事をしながら二人の子どもを育てお母様の介護も経験されました。
どのようにして両立してきたのか、子どもと向き合う中で何を得たのか、子育ての苦労と喜びについて伺いました。

62歳になりました。
歳はあまり意識しないで生きてきました。
NHKの大河ドラマいだてんの池部幾江役にでて、もう撮り終わっています。
息子の「二千翔(にちか)」が34歳、娘の「いまる」は30歳になりました。
一年前までは母とも同居していました。
娘は近くに住んでいます。
息子と同居しています。
27歳の時に長男にちかを出産、髪の毛がふさふさで大人っぽい顔でした。
3984gありました。
穏やかな性格でした。
世界で一番この子を愛しているのは自分だと確信を持って言える相手ができたのはすごく幸せだと思いました。
おっぱいを上げる幸福感を味わいながら授乳していました。

出産後2か月後には映画の仕事をしていました。
夫が後押しをしてくれました。
夫は子どもが2歳の時にがんで亡くなってしまいました。
当時は告知はしない時代で私だけが知っていて、治ると信じていました。
時間が限られているという事が大きかったかもしれませんが圧縮された時間でした。
沢山写真を撮ってこういう父親だったという事を知ってもらいたかった。
15歳への息子へと、しのぶへという手紙を書いて2000年の朝に年賀状が届くという風に二人で書きっこしました。
2000年の1月1日に届きました。
15歳になっていて年末に旅行に行こうという話があったが、息子は珍しく反対したんです。
その手紙が来ることを楽しみにしていることを知ったんです。

明石家さんまと結婚して長女「いまる」が誕生します。
子育てに関していえば協力的でしたが、私が気を使い過ぎたところもあるかもしれませんでした。
子どもが好きなので今でも一緒に食事したりしてくれたりします。
子どもの誕生日なども一緒に集まって、子どもの友達もきて一緒に過ごした仲間がいるという事は楽しいなあと感じます。
子どもが小さい時には子どもがいかに楽しい顔をしてくれるかが親としての喜びだったので、子どもが笑顔でいられることを考えていたかもしれませんが、仕事をしていたので寂しい思いをさせてしまったかもしれません。
仕事をしながらの子育てだったので、その状況の中では必至でやってきたので、精いっぱいやってきたというしかないですね。

「スノーマン」の絵本 映画にもなりました。
寝る前は絵本はよく読んで聞かせていました。
作った雪ダルマが起きだして、一緒に楽しい時間を過ごすという絵本です。
最後は朝になって少年が起きてスノーマンのところに行ったら溶けてしまったというかなしい話ですが、きれいな絵だと思います。
息子は最期のページをに行くのが嫌がっていて、又来年会おうねと言っておしまいにしましたが、娘は全然違っていました。
両親が食卓で教えてくれたこと、生き方を見せて教えてくれたことが私を作り出しているわけで、そして私が子どもを育てていって、何かが受け継がれていっていると思うが、それぞれの人生を歩んでいけばいいと思いますが、人に対して優しくあることとか、真面目であるという事など、それは判っているとおもいます。

母は強い人だったので最後のほうまでトイレも行けたし、24時間見ていなければいけない時間が去年続いたんですが、息子と娘が入院させたらおばあちゃんではなくなるので、家にという事で、決心して最後まで在宅でという事で覚悟しました。
苦しかったし必死に生きようとしていて、励ますしかなくて励ますのですが、息子と娘の励まし方が全く違っていました。
生き切ることを最後に孫たちに見せてくれたんだと思ってよかったと思います。
いつも苦しいなかで、時々ふっと気持ちよく口にする時間があって、スープを一口飲んでくれただけで幸せになりました。
母の強さは受け継いでいると思います、決して弱くはないです。
起こるべくして起こっているとして受け止めて、受け止めながら前に進んで行くという事が、母の生き方とか父も思っているので、20代の大きな試練を潜り抜けてきた分、人間というのは強くなれると思います。
楽しく生きるという事がモットーなので、自分の時間を大事にしながら自分の為に楽しいことをやっていきたいなあと思います。