2019年11月3日日曜日

TARAKO((たらこ)俳優))        ・【時代を創った声】

TARAKO(たらこ)(俳優)            ・【時代を創った声】
アニメ「ちびまる子ちゃん」のまる子ちゃん役30年目、あっという間でした。
私も20代でみんな若かったが、今では座りながらではないと声をとれない方とか、あの世に行ってしまった方とか、時間が経つのは怖いなと思う事があります。
ベテランの方が多いのでぎすぎすしません。
私とまる子ちゃんは似ていますが、さくらももこさん(漫画の原作者)もそっくりです。
喋り方がそっくりで、歌手のイルカちゃんも似ていて、3人でラジオで一緒にしゃべっていても、誰が誰だかわからないといわれました。
声が似ていると顔も似ています、3人で写真を撮っても顔が似ていたのにはびっくりしました。

子どものころからアニメは好きでした。
中学の時には保母さんになりたいと思っていました。
高校の時には保母の専門学校に行こうか、芝居の世界に行こうか悩んでいましたが、親から「好きなほうに行きな」と言われて芝居の方に行くことにしました。
2年間演技の専門学校に行きました。
声優になって最初の頃古川登志夫さんからはいろいろ学びました。
『名探偵コナン』の江戸川コナン役の高山みなみさんからはちょっとしてテクニックを教えてもらいました。
技術もハートも高山みなみさんは天才だと思った時期もありました。
声優デビューは1981年、テレビアニメ『うる星やつら』で演じた幼稚園児役でした。
生活が厳しくてアルバイトはまる子が始まる前までやっていました。
1983年にシンガーソングライターとしてもデビューしました。

漫画「サザエさん」のタラちゃんに似ているといわれて、タラと言われていたが、それに子をつけて「TARAKO(たらこ)」で行こうということになりました。
アニメ「ちびまる子ちゃん」では一次予選に呼んでいただけなくて、見本をとったらももこ先生が違うという事で、オーディションをもう一回やる事になり、35,6人の中の最後の最後に5人選ばれて、ももこ先生にこの子がいいという事になり決まりました。
「ちびまる子ちゃん」の人気がでてきてびっくりしました。
変な声だという事は声優になった後にも言われていました。
家に帰って泣くとか、現場ではトイレで泣いたりしていました。
支えてくれた人が一杯いたのとまる子ちゃんが好きだというファンがいたので、まる子がある限りは続けていいんだという事で続けられてきました。
声にコンプレックスがあったが、「スプーンおばさん」の子ネズミのどんちゃんの役をやったときに、のどを締めたり形からはいったら、これがまる子の原型になりました。

自分の声は好きになろうとしています。
一番楽なしゃべり方はまる子に近いです。
私はナレーションは第三者的にはできないです。
ナレーターと声優は或る意味一緒です、もっと淡々と読まないと聞いている方には伝わらないといわれて、その時はちゃんとナレーションしました。
ずーっとしゃべりぱなしではなく言葉を止めるという事そういうしゃべり方もしました。
想像することが大好きで延長線で脚本へと向かいました。
1992年頃にまる子が一回終わった後に、或る番組が拾ってくださって、そこで書くようにになりました。
自分だけがそのキャラに命を吹き込める喜び、キャラと声で楽しませることができる、いくつになってもできる、それが声優の魅力だと思います。
好きでいることが続けられる元になっていると思います。
この世にはいろんな声の持ち主がいますが、自分だけというものを見つけてほしいと思います。
そのためには一杯物まねをすることだと思います、そうすると新しい自分がひろがると思います。
映画、ドラマを一杯見ること、そのほかいろいろなものを見ること、本を読む、自分の引き出しを増やしてゆくといいと思います。
何があっても自分が好きでいて欲しいと思います。
怒ったときには1秒息を止めて、大きな深呼吸を3回してから、自分の心にこれは今言って大丈夫か自分に聞いてほしい。
これは許せないと思ったら言葉を選んでいう事ですかね。
夢は多くの方に笑ってほしいので笑顔が増えればいいなあと思って、その一個のお手伝いができればいいなあと思います。
映画をつくりたいです。