2019年11月4日月曜日

穂村弘(歌人)              ・【ほむほむのふむふむ】

穂村弘(歌人)              ・【ほむほむのふむふむ】
「シンジケート」1986年に俵 万智さんが受賞した角川短歌賞の次席となった連作の「シンジケート」が元になっている。
1990年に会社に入って3年後ぐらいでした。
会社に入って全部ためたお金を全部吐き出しての自費出版でした。
歌集の編集をした時には短冊にして紙で床一杯に広げてやりました。
最もいい構成を考えなくては行けなくて、必死に紙を並べ替え、並べ替えしました。
一緒にやったのが出版社に勤めていた編集者の山崎郁子さんでした。

「こんなにも風が明るくあるために調子っぱずれの僕の口笛」 山崎郁子
短歌の中の作中の主人公が僕なんです、作者は女性なんですが。
風が明るくという表現は一首全体を読むと雰囲気が判る様な感じがする。

「昨晩の事であります星月夜推進運動家よりの速達」 山崎郁子
童話みたいな感じです。
実際には星月夜推進運動家なんていないのですが。
宮沢賢治風の感じがします。

「ひなにんぎやうのかたなのつばやすらかなねむりにおちるためのおまじなひ」山崎郁子
全部ひらがなになっていて旧かな使いになっている。
落語を聞きに行って、演目にひな人形の刀の鍔が出てきて、彼女は覚えていてそのあとの会で作った短歌にした。

「空からはゆめがしぶいてくるでせう手にはきいろい傘のしんじつ」 山崎郁子
空からしぶいてくるのは普通は雨ですが、比喩でここではゆめがしぶいてくる。
雰囲気的な歌ですが、なんかリアルな感じもちょっとあるかなあと思います。
ひらがなが多くなっている。
山崎郁子さんの歌風は夢のような感じ、文体的には話し言葉でありながら全体的には旧かなつかいが使われている。
歌集のタイトルは「麒麟の休日」
麒麟は伝説上の麒麟。

歌集の帯をどうしようかと思った時に大島弓子さんにお願いしようと思って、何とか家を見つけたが緊張してブザーを押せなくて、依頼状とゲラ刷を大きい封筒に入れて、ポストに入れました。
そんなやり方でも引き受けてもらいました。
「水滴が雪になるように言葉が結晶化して歌になる。
そして降り積もって雪野原のような本になった。
今年始めて積もった雪、穂村弘の初めての歌集」 大島弓子
ありがたかったです。

「子どもよりシンジケートをつくろうよ壁に向かって手を上げなさい」 穂村弘
前回「当方は二十五銃器ブローカー秘書求む桃色の踵の」 塚本邦雄 というのがありましたが、あれも恋愛とか違う共同体、同士を求めている歌ですが、これもそうです。
それをシンジケートという風に詠んでいるわけです。
壁に向かって手を上げなさいというのはホールドアップ、銃器ブローカーが危険な感じがあった様に、それはどこか非合法なものなんだという、非合法な世界へのあこがれです。
歌集のタイトルにもなりました。
当時はカタカナのタイトルの歌集はない時代でした。

「酔ってるの私が誰かわかってるブーフーウーのウーじゃないかな」 穂村弘
「ブーフーウー」はNHKの「お母さんと一緒」の人形劇の3匹の子豚。
女性側が初めに恋人だと思われる相手に、「酔ってるの私が誰かわかってる」という風に呼びかけるが、答えが「ブーフーウーのウーじゃないかな」という冗談が返ってくる。
ウーは末っ子で賢い、賢い子豚ちゃんだよと戯れて言っている。
これは完全フィクションですが。

「呼吸する色の不思議を見ていたら火よとあなたは教えてくれる」 穂村弘
火は原始的なイメージを想起させてくれるから、じっと見つめていると火だという日常の認識が溶けてしまい、呼吸する色みたいに表現している。
ぼんやり火を見ていると突然「火よ」と教えてくれる人がいたという、広い意味での恋愛の歌です。
僕の中に理想の人のイメージがあって、ぼんやり見ていると火よと教えてくれるような人だという。
女の人の中に女神のようなイメージがある。
僕の感じ方の原型みたいなものがこの時にはもうあったんだと思います。

「朝の陽にまみれて見えなくなりそうなお前を足で起こす日曜」 穂村弘
日差しが入ってきて日差しに溶け込んだしまっていて、どこかに行ってしまいそうで、不安になってわざと乱暴に起こす。
裏返しの思いがある。

「駄目な歌が入ってしまう事よりも、良い歌があるのに入れないという事を恐れろ」といわれて凄いいいアドバイスだと思い、ほかの人たちにも言っています。

*記載した短歌の文字が違っているかもしれません。