2019年8月16日金曜日

木村芳勝(歯舞群島元島民)        ・【戦争・平和インタビュー】(5)今こそ史実、元島民の思いを伝えたい

木村芳勝(歯舞群島元島民) ・【戦争・平和インタビュー】(5)今こそ史実、元島民の思いを伝えたい
84歳、歯舞群島の志発(しぼつ)島に住んでいた木村さんは10歳で終戦を迎えました。
その後も島で暮らしていましたが、昭和23年島を追われます。
北方領土の問題が解決しない中、戦後74年となる今、木村さんは北方領土でどんな暮らしがあったのか、そして元島民がどんな思いでこの問題を見つめてきたのか多くの人に知ってもらいたいと願っています。

歯舞群島の志発島は根室の納沙布岬から25,5kmのところです。
行きたくても勝手に行けない。
近くて遠い故郷です。
根室は70年間住んでいても故郷とは思わない。
終戦の時には北方領土には1万7000人余りが住んでいて、志発島には2000人余りが住んでいました。
志発島は自然がいっぱいありました。
魚がいっぱいあり、昆布がたくさん獲れました。
干したり、昆布小屋に積んだり、子供のころ手伝っていました。
13人兄弟の5男でした。
学校は全体で40人ぐらいでした。
遊びは夏は泳いだり冬は竹スキーをやったりしていました。

空襲の時には昼間は防空壕に入っていました。
昭和20年8月15日には重大な放送があるという事でした。
兵隊はみんな泣いて地面をたたいていました。
ソ連兵が鉄砲を持って一軒一軒探しに来ました。
「トッキー、トッキー」と言ってきました。
時計のことを言っていたようです。
母親の指輪も、時計も盗られました。
女性はいたずれをされるという事で髪を切って顔を炭で黒く塗ったりして変装して身を隠していました。
怖かったです。

ソ連は昭和21年の2月に北方領土を自国領土に編入させたが、すぐに日本人を強制退去させられたわけではなかった。
彼らは大根、人参は食べないが、ごしょ芋を食べました。
島にはソ連の兵隊の子どももいましたが、言葉は判らなかった。
身振り手振りで話をして、一緒に遊んだりしていました。
お互いに段々言葉も覚えていきました。
食べ物に関しては大人も物々交換をしていました。
学校では劇を一緒にやったりしました。
当時占領されているという感覚はなかったです。
強制退去命令は村の長の人に言ったようです。

船に乗って出るでは直ぐ帰ってくるものだと思っていました。
ソ連の子どもたちは見送りに来てくれました。
船は1万トンぐらいの貨物船で物をはこぶみたいに扱われました。
樺太についたときにも、1週間船の中にずーっといました。
船の中には約1000人ぐらいいました
与えられた面積は1家族畳2枚分でした。
我が家は両親と子どもたちで10人でした。
母親は体が悪いので寝ていて、場所がないので機関部の上に行ったりしていました。
ご飯はパンにニシン、マスのしょっぱいのを一切れで、1日2回でした。
船の中で死んだ人は海に投げられました。
函館から根室に行くのはほとんど引き上げ者でびっちりでした。

望郷の思いはありました。
これまで6回北方領土に行きました。
初めていったときにはうれしくて涙が出ました。(1960年代)
日本人が住んでいた家はなくなって、基礎だけは残っていました。
故郷の墓には姉と弟、妹が眠っています。
日ロ首脳会談で少しでも前に進むのではないかと思っていたが、その度に裏切られてきました。
北方領土に関する細かい新聞記事までスクラップしています。
平成27年で切り抜きを止めました、もう諦めました。
一つも話が進んでない。
ビザなし交流もあり、今年5月に65人の訪問団が国後島を3泊4日で行われました。
国後島には終戦時には7000人余りの人が暮らしていましたが、今は8000人を超えるロシア人が暮らしています。
グループの4人でロシア人の自宅まで行きました。
水産加工をやってる社長の家で、酒、食べたことのないような食べ物などで接待されました。
国後島は投資して建物も建てて経済も豊かになっているし、島を返せといってもなかなか返さないと私は感じました。
訪問団に参加していた丸山穂高衆議院議員が北方領土を戦争で取り返すことの是非などにも言及したが、国会議員たるものがとんでもないことを言うと思いました。
戦争の苦しみなど全然知らない人間だと思います。
返還について一歩一歩進んできているのに、一瞬のうちに崩してしまって許せなかった。
北方領土で今住んでいるロシア人とともに日本人も一緒に暮らす、という解決策もあると思います。
今はロシア人が1万8000人が住んでいて、その島で生まれてきていて故郷となっている。
元島民の平均年齢が84歳を超えて6000人を割りこみました。
酒を飲んだりすると思い出話などします。
足も駄目になってきたので、今度の墓参の時には「もう来れないぞ」というと思います。