2019年8月17日土曜日

垣戸博之(元乗組員)           ・潮岬沖に消えた巨大空母『信濃』

垣戸博之(元乗組員)           ・潮岬沖に消えた巨大空母『信濃』
垣戸さんは昭和3年2月和歌山県に生まれました。
一時期東京で過ごした後、自ら志願して、横須賀海兵団に入団、当時の巨大戦艦、大和、武蔵、と同じ型の3号艦「信濃」に乗り組みます。
この船の中で垣戸さんは上官の命令を各所に伝える役目をしていました。
「信濃」は戦争末期に横須賀で建造された船で全長264m、満載時の排水量が7万2000トン、当時世界最大の航空母艦といわれました。
悪化する戦況を好転するため「信濃」は突貫作業で作られていました。
垣戸さんが横須賀海兵団に入ったころの話から聞きました。

父親の弟が東京にいてこちらに来るようにいわれていきました。
東京の中学に4年行って、家のしつけが厳しくて辛くてそこから出たくて志願しました。
学校も兵隊に行くようにというようなことでしたし。
卒業後海兵団に入り入りました。
誰か一人へまをするとバットで尻を殴られるのがしょっちゅうでした。
乗船するまで4か月ぐらいありました。
「信濃」は横須賀の一番大きなドッグで建造されました。
建造中にB29が通過したことがあり、大きな船を作っているなと確認できていると思うんです。
アメリカは近く出航するという事をつかんでいたと思います。
出航して間もなくやられたのはアメリカに情報が洩れていたと思います。
艦長からいろいろな命令が出るのでその対処の仕方の訓練をしていました。
仙台から来た阿部とは親しくしていました。

行先は呉に行って艦隊編成するという事は聞いていましたが、その先は何にも知りませんでした。
恐怖心はそんなになかったです、世界最大という事を聞いていたので沈むなんて考えていませんでした。
出航するときにはこの船で勝てるんだという思いでみんな晴れやかでした。
昭和19年11月28日の夕方、航空母艦「信濃」は広島の呉に向かいます。
出航した翌日3時過ぎアメリカの潜水艦アーチャーフィッシュ号からの魚雷攻撃を受けます。
魚雷は右舷に4発命中し、信濃は傾いていきます。
一発目の時には非番で寝ていました。
飛び起きて自分の配置へ戻るのに、船が傾いていたようでふらふらしていきました。
バランスをとるために左に注水するような命令がありました。
自分では沈むというような感覚はなかったが、後からみんなから聞いた話では、急いで作っていた関係で溶接も粗雑であったといわれている。
本来魚雷4発ぐらいでは沈むことはないが。

制海権は握っていたというが、すでに敵艦が入っているという事で制海権はアメリカが握っていた。
周りの雰囲気など知る由もなかった。
伊勢湾沖で傾いてきて、伊勢湾に入ればよかったが艦長は沈むことはないとそのまま呉に向かった。
潮岬沖ではもう動かなくなりました。
沈んで死んでしまうと気は思いはぎりぎりまでなかった。
船が艦橋と後甲板に水が入ってきたときに、艦長は「これまでだ、みな生き延びて再度国のために尽くしてくれ」という訓示をしました。
言われなくてももうだめだとは思いました。
左に逃げるようにとの指示がありましたが、自分は泳ぎが苦手なので飛び込むことができなかった。
急に船が傾いたので海に放り出されてしまいました。
駆逐艦がいてロープで引き上げてくれました。
11月ですが寒いとか全然記憶がなかったです。
船が垂直になる瞬間を観ましたが、直前上甲板でうろうろしている人も見ました。
沈没までは大きな音をたてて早かったです。
助けられて目が覚めて、駆逐艦内だという事が判りました。
昭和19年11月29日午前11時前轟音ともに潮岬沖に沈没。

垣戸さんは呉市の対岸にある三つ子島に数か月間隔離された生活を強いられる。
機密が漏れないように小さな島に送られたと思います。
国運をかけて作った航空母艦が何もしないで沈められたという事になると、影響するので漏れないように隔離されたと思います。
何にもすることがない生活は嫌でした。
同情したり話をする友達もいませんでした。
勝てる船だと信じていたので、終戦を迎えて悔しかったです。
惜しい船だったと思います。
膨大な金をかけて作ったのはなんのためにつくったのかなあと考えます。
戦争は惨めなものです。
何としても平和でなければいけないと思います、どんな理由があっても戦争はしてはいけない。
お互い人間なので徹底的に話し合う事だと思います。
政治家は権力を大事にし過ぎて戦争になるケースが多いが、人間同士なんだということを頭において深く考えれば戦争なんてありえないと思うが、戦争のない政治をしてほしいと思います。
(太平洋戦争の戦況を好転させるため国家の威信をかけ当時の金額でおよそ1億4000万円という巨額を投じて作られた「信濃」は戦うことなく、出航から約18時間ほどで沈没しました。 
今「信濃」は和歌山県の潮岬沖の海底にあり、私たちに戦争のむなしさを静かに語りかけています。)