三輪休雪(萩焼・十三代) ・40トンの土から掌(たなごころ)の世界へ
古くから茶道の世界では茶人の抹茶茶碗の好みとして萩焼きは一楽二萩三唐津といわれ珍重されてきました。(1位: 楽焼 (京都) 2位: 萩焼 (山口県萩市)3位: 唐津焼 (佐賀県唐津市)
なかでも三輪窯は代表的な窯元の一つで代々萩藩の御用窯を務めてきた由緒ある窯元です。
10第、その弟11代も人間国宝という大きな名跡でこの度襲名された13代は11代の3男です。
1951年昭和26年生まれ1975年からアメリカのサンフランシスコ、アート・インスティテュートに入学1981年に帰国しました。
以後前衛華道家、故中川幸夫との二人展など多彩な取り組みの中で、土の持つエネルギーをテーマにしたダイナミックな造形が注目を集めてきました。
令和のスタートとともに13代を襲名された休雪さんは、今人生の大切な時に茶碗を手に取った人の活力となるような作品を作っていきたいと話しています。
田舎の小さい窯元ですが、代々私までいろいろな苦労を乗り越えてきたので、それなりに気を引き締めて13代として頑張っていこうという心境です。
今年の秋に個展を控えていますのでちょうど大変な時期でもあります。
兄が12代で、去年の冬に話があるという事で打ち明けてくれました。
10代は白萩釉薬を作って、11代の父が使いこなして完成させたという大きな存在だと思います。
柔らかい新雪をイメージしたんだと思います。
兄がろくろ成型を継ぎ合わせて作ったのが鮮烈な記憶があります。
若い時期にアメリカに数年暮らして、日本に帰ってきて、何をやっていいかわからない時期がありました。
スケールの大きいところで暮らしていたので、何をやってもいいか聞いたらいいよという事で、やったのが40トンの萩焼で使う生の粘土を美術館に運びこんでで道路を作りました。
本物のガードレールをつけて4輪駆動の車とバイクを走らせてわだちをつけました。
ひび割れなどしましたが、1か月間生の土で展示しました。
水害に見舞われた或る方がいて、手伝っている合間に道路に土砂があり、ひび割れていて、40トンの作品のもとになったきっかけになりました。
中学一年生の夏休みに、兄から東京にデッサンに来いといわれて、1964年で現代国際陶芸展があり兄に連れられて行ってきました。
ピーター・ヴォーコス(世界陶芸の巨人といわれた)の作品を見て、非常にショックを受けました。
アメリカの学校では私が思っていたものとは違っていました。
いろいろ旅をしてその中からヨセミテ国立公園があり大事な作品のベースになったところです。
父の作品には色濃く受けていると思います。
父は息子たちにはああしろこうしろとはほとんどなかったです。
父は道路の作品にもある程度理解をしてくれていました。
今茶碗を作ることに力をいれています。
ろくろを使わないで、50~100cmの刀状を鍛冶屋さんに作ってもらって、削いだり、断ったりして形作るわけですが、ヨセミテ国立公園の巨大な岩山を掌(たなごころ)の世界へ持ち込んでみたかった。
大きいものは大きさからくるパワーがあると思いますが、小さいがゆえにそこに込められている大きさの意味合い、パワーがあると思います。
それを茶碗の世界に持ち込む、それに力を入れようとしています。
癒し、安らぎとかもあると思うが、昔の戦に向かう前の心境というか、自分を見つめてやろうという使い方もあっていいんではないかと思います。
自分の存在意義を考えたときに、お茶の道具だけでは満足できないというか、そういった性格的なものもあると思います。
現代人がどういう茶碗を望んでいるんだろうと、そういう思いでやっています。
自分自身でも答えは出ていないが、今までにない刺激が茶を考える一つのきっかけになってくれないかなあと思います。
作り終えたときの疲労感、満足感は日に日に大きくなっています。
土は生き物だと思っていて、あなどってはいけない。
土に向かって刀で断ったりしますが、相手にされないようなときもありますし、怖いですね、だから面白いですね。
9月18日から襲名後の最初の展覧会があります。