2019年8月21日水曜日

荒木田裕子(女子バレーボール金メダリスト)・可能性にアタック! モントリオール五輪

荒木田裕子(女子バレーボール金メダリスト)・可能性にアタック! モントリオール五輪
選手引退後JOC日本オリンピック委員会の活動に長く携わってこられ、東京オリンピックパラリンピックの招致活動やトップアスリートの就職支援活動アスナビなどの創設にかかわってこられました。
現在は東京オリンピックパラリンピック組織委員会理事、全国ラジオ体操連盟会長 、IOC国際オリンピック委員会、プログラム委員会などを務めていらっしゃいます。

2013年9月7日に東京オリンピックパラリンピックの開催が決まって、4回私は招致に関わっておそらくそれが最後だという思いだったので、決まった瞬間はみんなが涙がボロボロでました。
翌日IOCの事務所に呼ばれて、当時の武田会長を含めて4人呼ばれて、今日からあなたたちのナイトメアが始まる、要するに東京に悪夢が始まるよといわれました。
オリンピックパラリンピックをやる事は大変ですよという事なんですけれど。
この6年間はいろいろ大変だったと思います。
アスリートにとってはどんどん決まってゆくしあと1年かと思います。
全国ラジオ体操連盟会長をやっています。
前任者は小野清子先生です。
去年がラジオ体操が始まって90周年になりました。
ラジオ体操は一つの地域のコミュニケーションツールであると思います。

1964年の東京オリンピックは小学生の時で家庭にはTVのない時代で、集まってTVを見て、一番印象に残っているのが開会式でした。
小さいころから仲間と何かをするのが大好きでした。
小学校のころはポートボール(ミニバスケットのような競技)をやっていました。
中学校に入ってバスケットをやりたかったがなかった。
みんなで一緒にやれるという事でバレー部に入ることになりました。
同じ仲間たちで高校までやりました。
ミュンヘンオリンピックの年に日立に入りました。
ほかはアタッカーをという事だったが、セッターをやらせるといったのは日立の山田監督だけでした。
背が低かったのでセッターだったらいけるかなと思いました。
ミュンヘンオリンピックでは女子は銀メダルで悔しさで泣いているのを見て、やっぱり金メダルでなければいけないんだと思いました。

私はなかなかうまくなりませんでした。
2年経ってバレーを辞めたいと思って、大学に行って教師を目指そうと思いました。
どうせ大学に行くなら海外に行けと監督から言われました。
中国の大学に山田監督が手紙を出したが、文化大革命の教育革命の真っ最中で今来てもまともな教育が受けられないと言ことで、カナダの大学に行くことになって、踏ん切りがつかなくて最後にもう一回バレーをやらしてくれ、アタッカーとしてやらしてくれという事になりました。
当時から手書きでデータを作って、やっていました。
私は仮想リスカル役をやっていました。
働きながら勉強しようと思って夜学に入りました。
金をとったときに本当に自分でつかんだメダルだろうかと思って、金メダルを取った荒木田裕子といわれるのが嫌で仕方なかった。
勉強して先生になろうと思いました。
コーチングの資格も取りました。

スイスから指導者として、選手としてもやってもいいという事で行くことにしました。
行ってすぐに香港でインターナショナルのライセンスが取れるという事で、周り中男の人だらけの中で資格を取りました。
しばらく日立のバレー部に戻っていたが、バレー部が廃部になるという事で、収入も途絶えてしまいました。
英語をもう少し勉強しようと思って、イギリスのオリンピック委員会に一人で行って、研修させてくださいとお願いに行きました。
アスリートをサポートする勉強をしたいといいました。
オリンピックパラリンピックを目指すアスリートを経済的に支援するところでした。
銀行にサポートしてもらっていたアスリートが優秀でそのまま残ってほしいと就職してしまいました。
イギリスの日本企業にイギリスのアスリートを雇用して欲しいとお願いに行きました。
日本に帰ってきて、企業がアスリートを雇用するとかチームを保有することにどう考えているのか聞いてみようとヒアリングしました。
その中にアスリートを雇用するには、費用が大分掛かると誤解していました。
企業には一体感の醸成がないのでアスリートを雇用することで、一体感の醸成に役に立つという事でウイン-ウインの関係を作りたいという事で始まったわけです。

強化を担当することになって、2年前に何をやったらいいんだろうと思って、女子の指導者にヒアリングしました。
オリンピックに参加していない指導者もいたりして、オリンピックで勝つという事はどういうことなのか、メダルを取るという事はどういうことなのか、アスリートを指導するのにどうしたらいいかわからないという本音が出てきました。
リオのオリンピックでは41個のメダルを獲得していて、そのうちの40個はナショナルトレーニングセンターで合宿しているアスリートが取っているわけです。
メダルを取った指導者がいっぱいいるわけで、毎月第二木曜日に決めて昨年4月から始め第一回目は山下強化本部長(JOCの会長になられた。)に依頼して講習をしました。
反応は入ってくるときと出ていく時では全然違います、やってよかったなあと思います。
プレッシャーをエネルギーに変えてほしいと思います。
スポーツには力があるという事を東日本大震災の被災地に寄り添いながら経験してきたと思うので、態度、競技を通してアスリ-トの力を共有できるような形になれば、そしてその種をそれぞれ持ち帰ってもらえば、我々も世界平和に貢献できると思うので、頑張ろうねという思いです。