木村正彦(盆栽作家) ・【心に花を咲かせて】芸術を覆す盆栽の魔術師(2019.02
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木村さんは盆栽の世界で世界から注目され、盆栽界に新風を巻き起こしている方です。
その作品の芸術性から盆栽の神様、盆栽の魔術師、盆栽アーティストなどと呼ばれています。
これまで内閣総理大臣賞を27回、卓越した技と自由な発想で時間を掛けて作るという盆栽界の常識をくつがえしまして、自然界の風雪に耐えた風景を短時間で作ってしまう方です。
盆栽歴は、15歳で修行の道に入って半世紀以上になります、現在78歳です。
父親が11歳のときに亡くなりました。
4人兄弟で妹が下に3人います。
母親が生活に困って、父親が残した土地を売りながら、食い扶持減らしという事で修行に出されてしまって、それがたまたま盆栽園でした。
埼玉県の大宮の盆栽町に生まれました。
盆栽の修業は嫌だなと思ったことはありませんでした。
修行は厳しかったです。
最初は掃除、水かけ、草取りなどで2,3年経ってからようやく盆栽をいじらせて頂きました。
10年経ったときに、1年のお礼奉公があるという事で11年間やりました。
1200坪あった土地を母親が切り売りして妹たちを育てました。
11年後には土地は何にもなかったです。
植物の勉強だけはしておかないといけないと思って、学びました。
夢はせめて半分の土地で池を作って、という思いがありましたが、ようやく1000坪の土地に池などを作ることができました。
まずは資金つくりという事で年が明けてから、麻布10番で高級な草花を売りました。
ビルのオーナーの方と巡り会って、ビルの1階が空いているのでそこを使ってもいいという事でそこで店を始めました。
1年間で出て行ってもらいたいというっことでしたが、1年間で次の仕事をやる資金はできました。
園芸用の土、赤玉土を自動でできないかと、大掛かりな機械を作って、一日700袋できるようにしました。(それまで機械でつくるということはしていなかった)
父親は発明家で現在でも使われている素晴らしいものを父親が開発したものがあります。
その血筋を引いているものと思います。
短期間でこの仕事も任せている工場責任者に権利すべて譲ってしまいました。
貸植木の方に進みましたが、それも直ぐにやめて資金ができたので1000坪の土地を購入しました。
盆栽を本腰を入れてやろうと思いました。
盆栽の魅力は大自然を景色の一端を表現できることだと思います。
心の目で見ていただければ大きな世界が広がるのではないかと思います。
私の場合は遊びの気持ちを表現したくて、今までになかった盆栽、もっと楽しい盆栽があってもいいんじゃないかと、作品が売れようが売れまいが趣味のような気持で作っていました。
世界中を回っていい景色、断崖に木が生えているような景色を作れないかと思って、まず自分で石から削って作り始めました。
古く見えるように着色します。
内閣総理大臣賞を受賞した「登龍の舞」、30歳を少し超えた頃でした。
15人の審査員のうち14対1で圧倒的な勝利で内閣総理大臣賞をいただきました。
原木が1.7mぐらいあったものを小さくまとめましたが、非常に難しいのですが、植物学を勉強したことが生きたと思います。
この盆栽は3年で仕上げました。
根を上にして鉢の中に活着させるために、天地逆転して、自然に見せるように彫刻しました。
これは世界的に注目されました。
絶えず新しいものを出していってます。
各国から弟子の希望がありますが、対応できず今は5人(ロシア2人、イタリア2人、コスタリカ1人)です。
盆栽の選定などを同業者から頼まれるのが多いです、仕事の8,9割がプロの方から頼まれます。
創作盆栽という部門があり毎年7年間出して全部グランプリをもらっています。
最初の作品は24年間取ってありますが、今後20,30年は持つと思います。
自然界にある石を自分で工夫した機械を使って削っていきますが、この業界ではそれができる人は他にはいません、
細かく説明しても真似はできません。
人には真似のできない能力というものが誰にもあると思うのでそれを何とか生かせば、人生の成功の道につながるのではないかと思います。
盆栽で学んだことは命を大事にするという事、若い人たちがいろんなことをやって、盆栽がその命を守って行けるのかなという作品をずいぶん作っていますが、これは邪道です、命を無視してその時だけよければいいというような作品は駄目だと思っています。
命を長く生きながらえるような作品でないといけないと思います。