M.G.シェフタル(静岡大学教授) ・【戦争・平和インタビュー】(1)アメリカ人が伝える「日本人が見た戦争」
アメリカ出身のシェフタルさんは33年前に日本に移住し、太平洋戦争について研究を行って来ました。
テーマの一つが日本が行った特攻です。
100人以上の元特攻兵などの証言を纏めた本をアメリカで出版し、読者から特攻に向かわざるを得なかった当時の日本の若者に対する共感が数多く寄せられました。
シェフタルさんは相手の立場を知り、人として共感する心が戦争の抑止になると考え、現在は被爆の証言を纏めて世界に伝えようとしています。
日本人が経験した特攻と被爆、その証言は世界でいかに共感の心を生み、平和へとつながるのでしょうか。
海外の方が見たことがない、聞いたことがない、考えたことがない、一般の日本人があの戦争でどういう生活をしていた、どういうことを観た、そういうことを英語にまとめて日本から発信する、日本人はどういう戦争時代を生き抜いたのか、そういう研究をやっています。
まずは特攻隊です、軍事史の中では未曽有の前例のない作戦です。
日本が唯一の被爆国になっていて、本人たちはあの日にどんな地獄を生き抜いたのか、嫌な思い出、悪夢を我慢しながら、どういう風に自分の人生をどん底状態から立ち直ったか、どんな人間でも深く深く共感できると思います。
是非全世界に発信したいです。
33年前は今よりたくさんの戦争経験者がいました。
酒を飲む店で全くの赤の他人なのに、なんで原爆をおとしたのかとか、真珠湾をどう思うとか、すぐ聞かれました。
当時私はアメリカ人の中では保守的な方で、アメリカの参戦目的は100%正当のものであり、日本は100%悪のためだった、単純に白黒にわけられていた。
私のホームタウンのニューヨークが同時多発テロに遭いました。
数人のアナウンサーが話をしていて、その一人が「神風」という言葉を使った、その瞬間になんでその言葉を使わなければいけないのか、まずいんじゃないかなと感じました。
「神風」という言葉を使って日本人はいやなリアクションをするだろうと本能的に判りました。
学問的に、知的に説明するのを当時の私はうまく説明できなくて、それはいかんだろうと思いました、大きな扉を開けるための上からの声が聞こえたような瞬間でした。
元特攻兵、その家族、100人余りに聞き取りを行ったり、その施設とかも含めて、話を聞きました。
480ページに纏め、2005年にアメリカで出版しました。
直訳すると「風の中に咲く花」という題名
深川岩男(?)氏 陸軍少尉、陸軍士官学校の昭和19年卒業生で6人編隊の隊長。
特攻隊の隊長になったことに誇りを持っていた。
国を敵から守るさきがけに立っていると、本人たちは意識があった。
当時の心境を聞いて、もし私が静岡に住んでいて私はやめますという勇気はなかったのではないかと思います。
彼らと共感を感じる、当時の10代、20代の男性だったら、きっと同じところにいるのではなかとやりたくないけど理解できます。
戦争はとっても憎いものであるけれども、元敵国の方を恨むことは研究をやっている間に完全に消えました。
同じ人間があんな大変な時代を生き抜いて、大変なものを見てきて、大変な悲しみを経験した、そういう事を知るほど私と同じ人間だ、平和が大切だとか、そういう心境になります。
相手を本能的にすぐ恨むという事よりも、その前にちょっとそのこと考えてください、そういうようなメッセージです。
アメリカの読者からは圧倒的にポジティブです。
恨みを抱え続けてきたけれど、この一冊を読んで今まで担いでいた重たい気持ちが吹っ飛ばされた、心の解放ありがとうございます、そのようなことが元米兵から来ました。
今、被爆について調査しています。
説得しようとしているのはアメリカ人、海外の方です。
あの兵器のおかげで日本の上陸作戦がなくなって、民間人が苦しんだのは残念だけれどああいうのがあったのはよかったと思っている人がアメリカの人口の半分ぐらいです。
あの「よかった」という発言を私は削除したいです。
被爆した人たちは取材に対してお断りしますというのは特攻よりもはるかにあります。
話すにはつらすぎるから今回はすみませんという人が多いです。
なんでアメリカ人が私たちのコミュニティーに首を突っ込むのかというような風に思っているかもしれません。
そう考えているからこそ私はこの仕事をしなければいけない、乗り越えなえなければいけない。
残酷な原爆史を4年間私は没頭しています。
アメリカ人と日本人の原爆の歴史観の理解合いを100%融合、一致しているものにするのにはもう無理です。
アメリカ人に一回ぐらい涙を出してほしいです。
それが私の一番の使命です。
特攻の本と同じような共感をしていただければ。
両親との3人家族で被爆して、家は無くなり両親は黒ずんだばらばらになった一部の骸骨しかなかったが、採骨してお墓に入れた。
彼女は孤児となる。
広島の中心街の会社に就職したが、両親を亡くして心のよりどころが無くて、20代が終わりそうになるころ、結婚の話もあったがいろいろな要因でできなかった。
生きがいまでなくしてしまう、人の命を奪うだけでなくコミュニティーを殺す兵器です。
人の生き続ける力を奪う、歴史上でそこまでのひどい兵器はない、本当に無くしてほしいね。
核を持つ国、世界中に伝える意義があります。
核兵器をたくさん持っている国が総力戦になったら、終わりです、人類の終わりです。
怖い惨いイメージをできるだけ多くの人に実感させたい、まさに平和の為になるのではないかと思います。
核兵器は絶対、二度と実戦で使ってしまうのはいけない。
当時の日本人の生きていた文化、生活、社会の様子を人々にも伝えることができたら、私と同じ悟りが開くんじゃないか、みんな同じ人間です。
唯一の違いは違う時と違う場所で生まれた、ただそれだけです。
人々は恨みと国境を乗り越えることができる、同じ人間同士として。
ああ可哀そうというのではなく、共感は相手の痛みを自分の痛みになるという事です。
痛み、違和感を感じて、そうしないと世の中は変わらない。
人間同士の殺し合いの場合に、最初から殺しあいができるための不可欠の一つの心理は相手を同じ人間と見ないことです、そうすればやりやすい。
同じ人間で生まれた環境と時間だけが違うと思ったら、銃の引き金を引きずらくなると思う。
共感が最初からあれば、武器を握って相手に向けてそう簡単には引き金を引かないと思います。
相手に自分がやって欲しくないことをやらない、人間の道徳の一番重要な基礎です、それを守るためには不可欠なのが共感です。
シェフタルさんは数年後には被爆証言をまとめた本を出版するという事です。