2019年8月25日日曜日

釜本邦茂(メキシコ五輪サッカー銅メダリスト)・【特選 スポーツ名場面の裏側で】五輪メダリストの証言)(初回:2014.5.23)

釜本邦茂(メキシコ五輪サッカー銅メダリスト)・【特選 スポーツ名場面の裏側で】五輪メダリストの証言)(初回:2014.5.23)
75歳、京都の山城高校から早稲田大学に進学、早稲田大学2年生で東京オリンピックの代表になります。
メキシコオリンピックでは日本のエースとして6試合7ゴールを決め大会の得点王となるとともに日本銅メダルの立役者になりました。
社会人のヤンマーディーゼルでは、日本リーグ7回の得点王、チーム優勝4回という黄金時代を築きました。
その間に日本代表を14年間勤め、国際試合76試合で75得点を上げて日本サッカー協会公認の日本代表の最多得点保持者と、まさに日本最強のストライカーといわれました。
現役引退後は松下電器やJリーグ、ガンバ大阪の初代監督となり、その後日本サッカー協会副会長や参議院議員を務めました。
日本サッカー界の御意見番として活躍する釜本さんに伺いましたアンコール放送です。

2014年に旭日中綬章受章。
サッカー界の功績もあるのではないかと思います。
今でも子供たちとサッカーをやったり、海外にいったりしています。
昭和43年当時24歳、早稲田大学からヤンマーディーゼルに入って2年目でした。
メキシコオリンピックには16チームが参加、4チームずつに分かれて各グループの2位までが決勝トーナメントに出場するということでした。
日本はBグループで、ブラジル、スペイン、ナイジェリア、日本でした。
強いところばっかりでした。
初戦ナイジェリアと対戦、3-1で勝利  3点全部釜本が得点
前半24分で得点した時に肩の荷が下りて自信めいたものが生まれました。
3点目は相手のゴールキックをセンターライン付近で受けて、時間稼ぎのつもりでキックしたら左のクロスバーのところに突き刺さるように入りました。
入れようと思って蹴ったボールではなかった。

ブラジル戦 前半1点を取られるが、後半38分相手ゴール付近でヘッディングで競り合い落ちたボールを渡辺選手がスライディングシュートで入ってブラジルと引き分ける。
最終戦がスペイン 0-0で引き分け。
ブラジル-ナイジェリア戦では4-1ぐらいで勝っていたのを放送していて、日本は決勝トーナメントに行けそうで、別グループのメキシコかヨーロッパのチームとの対戦となりそうだった。
ヨーロッパとはやり慣れているので、引き分けて2位狙いだった。
スペインも2位になりたがっていた。
決勝トーナメント準々決勝、フランスと対戦して3-1で勝つ。
前半26分に日本先制、釜本がゴール、その後フランスが1点を入れて前半は1-1で終了。
後半、釜本正面からシュートして決まって2-1となり、渡辺選手のシュートが決まって3-1となりフランスに勝利。

準決勝ハンガリーと対戦0-5で敗れる。
3位決定戦 地元メキシコとの対戦 前半22分 杉山からのパスを胸で受けて前に落として、ディフェンダーをかわして左足シュート、決まって1-0 日本先制となる。
前半35分2点目を決める。
メキシコに2-0で勝って3位になる。
表彰式での声援は銅メダルの日本が一番大きかった。
ハンガリーが勝って金メダルだったが、退場者が両チーム二人ずつ出て荒れた試合でメキシコの観衆にいい印象を与えていなかった。
日本は合計9得点したうち7得点は釜本、2得点にアシストという結果になった。
東京オリンピックに向けて技術アップを図ったが、結果が出なかったが、ナイジェリア戦で自信をつけたと思う。

天皇杯、大学1年、4年で優勝 当時弱小チームのヤンマーディーゼルに入って、昭和44年天皇杯初優勝、46年二度目の優勝、昭和50年三回目の優勝 5回優勝する。
高校の先生からセンターフォワードは点を入れるところだから点を入れることだけを考えろといわれました。
負けず嫌いの性格で勝ちたいという気持ちがありポジションとしては合っていました。
技術的、体力的にも世界のレベルからは離れていた。
怪我も病気もありましたが、うじうじ考えても仕方ないので、治したらできるから中途半端なことはするなといわれました。
日本リーグ低迷期にサッカーのポスターに後ろ向きのフルヌードが掲載されました。
グラウンドに入ったときには私は我を通します、私のところに正確に蹴れるように練習しろという事で、私はいいコンビを作ってきました。
自分が走ったところにボールを来させないとだめだと思います。
自分はチームのために何ができるのかという事を考えてくれたら、おのずから良いプレーができると思います。