2019年8月14日水曜日

上間祥之介(沖縄戦研究者沖縄戦研究者)  ・【戦争・平和インタビュー】(3)障害者の戦争体験を後世に

上間祥之介(沖縄戦研究者沖縄戦研究者)  ・【戦争・平和インタビュー】(3)障害者の戦争体験を後世に
74年前激しい地上戦が行われ20万以上が犠牲となり、県民の4人に一人が命を落とした沖縄。
今年5月沖縄戦を体験していない研究者たちが一冊の本を出しました。
タイトルは「沖縄戦を知る辞典 非体験世代が語り継ぐ」執筆したのは学芸員や平和ガイド、地域の歴史を研究している人など28人で、体験者から話を聞き2年半をかけてまとめ上げました。
このうち最も若い執筆者が23歳の上間さんです。
脳性まひのため生まれつき手や足などに障害がある上間さんは、殆ど記録がなく語られることが少なかった障害者の戦争体験について証言を集めました。

脳性まひの障害で手足が動かしずらい運動機能の障害です。
年に3,4回集まって次はどんなことをちょうさしようかと議論しながらやっています。
小学校のころから沖縄戦体験者の後援会とか講話を聴いてきたんですが、話題の中心が健常者ということに気が付いて、障害者の人たちは戦争当時どうしていたのだろうというところに疑問を持ちました。
僕にしかできない視点でやっていくことに意味があるかなあと思って、大学の卒業論文で書いたのが最初ですあ。
実態がいまだに明らかにされていません。
沖縄戦当時、障害がある方の学校は那覇にある一校しかなかったし、重い障害者ほど行くことができなかった。
研究の背中を押してくれたのが沖縄戦研究の第一人者といわれる吉浜忍先生が大学時代にいらっしゃって、沖縄国際大学を退官されて今でも沖縄戦研究をされている先生です。
大学3年生の時に先生と話をするようになって、今まで語られることのなかった人たちにスポットを当てた沖縄戦の集大成といわれる県史が発刊されるという事を聞いて、自分にとってチャンスに感じたのを覚えています。

障害を抱えている人が調査に加わって気持ちの部分とかまで表現できれば沖縄戦に関する記録が深まるのではないかと思い頑張って書きました。
肢体不自由な方、視覚障害、聴覚障害の人たちと話を聞きました。
1944年の10月10日の空襲の時から沖縄は戦場になるという事で戦局が激しくなっていきます。
自宅の前に豪を掘って15名で避難したが、艦砲射撃で豪がやられて10名が亡くなり、残ったのは視覚障害の男性のほか子どもたち4名が助かったが、そこから逃げて歩いたが、食べ物も何を食べたかわからないぐらい怖い思いをして、その後捕虜になったそうです。
人間不信になったそうです。
逃げた山の中では、戦局の悪化から日本軍による食糧の強奪、暴行が相次ぎ、本来守らなければいけない住民にまで暴力をふるったりして、住民も追い出されて、中には日本軍に攻撃されるのが嫌で逃げ出したお年寄りがいたが、外の戦争に巻き込まれて負傷したという体験をした人もいました。
或る豪では視覚障害のいる家族がいて降参した方がいいという事で米軍に降参して、食料などをもらって家に帰ってきて、日本軍が潜んでいるのではないかと間違えられて米軍の銃撃にあって殺されていたりしました。
そういったことを後世に語り継いでいかないといけないと思いました。

当時障害者は「ごくつぶし」といわれて肩身の狭い思いをして日々生活していたようです。
車椅子などないので背負って逃げたりしたようですが、戦況の悪化もあって一緒ににげられなくなり、その場に置いていったという話も視覚障害の人が聞きました。
50代の女性で精神障害の人が異常な行動をしたりするという事で小屋に監禁していたが、後日その小屋で亡くなったという話もありました。
脊髄損傷の方がいましたが、当時5歳で自力では移動が困難でした。
父親に背負われて避難していました。
姉は視覚障害でした。
周りの人たちと一緒に家族で避難していたが、周りからは足手まといになるという事で置いていくように言われたりしたが、父親は何とか一緒に背負い手をつなぎながら逃げて回り家族は助かりました。

トイレ、食事などについては障害者ではないと聞けない部分もありました。
周りの家族に助けられながら用を足したりしていたそうです。
生の声なので重みがあります。
軍国主義の時代に、戦争に役立つか否かによって価値がきめられていたという事で、同じ肢体不自由な役所のお姉さんが発した言葉ですが、「私たちはもういいからお家へいって逃げなさい」といって、それを聞いた時には僕も同じ状況になった時には、迷惑はかけたくないという気持ちは多少なりあるので、僕も同じ状態になったときにはそう発するのではないかと心が痛くなりました。
戦争になると足手まといになるという風に障害者たちは、感じるのではないかと僕は思います。
日常生活で痛感する部分は多々あるので自分にしかない視点というものを大事にしながらやっていきたいと思います。
神奈川県の相模原市で障害者の大量虐殺事件がありましたが、障害者はいらないとか、聞かれて心が痛みました。
過去にどういう事があったのかという事を向き合って生きながら平和になるための手立てをみんなで一緒に考えていけたらいいと思っています。
戦争、地震、災害とか有事の際は障害者とか社会的立場の弱い人たちが真っ先に犠牲になるという事で、そういう人と一緒にいると周りまで被害に被るという事で、周りから非難されたり心ない言葉を言われて、前に出たがらないようになっていく時代背景があったが、引け目を感じることなく語り継いでいかないといけないと思います。
今後、戦争の原因を追究していきたいと思っています。