頭木弘樹(文学紹介者) ・【絶望名言】アルベール・カミュ
「絶望とは戦うべき理由を知らずして、しかもまさに戦わねばならぬという事だ」
(カミュ)
代表作として『異邦人』、『シーシュポスの神話』、『ペスト』、 『反抗的人間』。
生まれが1913年。
『異邦人』は発行部数の累計は大変な数だと思います。
海外ブックランキングではベスト5に入っています。
主人公は人を殺してしまうが、理由が太陽がまぶしかったと言うようなことで。
「絶望とは戦うべき理由を知らずして、しかもまさに戦わねばならぬという事だ」はカミュの手帖〈第2〉反抗の論理 の一節。
僕自身も難病になったときに、なんでなったのかという事は判らなくて、突然なってしまって、病気と闘わなくてはいけなくて理不尽な感じがしました。
この一節がまさにぴったりでした。
永井豪という漫画家の「真夜中の戦士」という短編漫画があるが、なんで戦うのかわからなくて戦うしかない。
理由が判らない戦いは非常につらい事です。
それが絶望につながる訳です。
カミュはアルジェリアの生まれです。
生まれてすぐに父親が第一次世界大戦で亡くなってしまいます。
母親は耳が不自由で読み書きもできなかった。
非常に貧しい状況に置かれてしまっている。
小学校の先生にいい先生がいてその先生のお陰で進学ができました。
ノーベル文学賞をとったときに、講演の出版をするときに、「ルイ・ジェルマン先生へ」と名前を入れて出版しています。
サッカーでプロを目指せるぐらいの実力があったが、結核になってしまう。
ここから生涯苦しみ続けることになる。
貧乏も結核もカミュのせいではなかったが、戦わねばならなかった。
「真に重大な哲学上の問題は一つしかない、自殺という事だ。
人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。」 (『シーシュポスの神話』の一節)
カミュは不条理がセットみたいに言われるが、カミュ自身が不条理という言葉を広めた人。
不条理とはわかるようなわからない感じがする。
世の中、法則みたいなものを見つけたいと思うがなかなか見つからない。
どう思って見たところでそこからはみ出すことが起きる。
病気、災害などいろんな不測の事態が起きる、理不尽なことが起きると世の中なんて不条理だと思う訳です。
人間が世界を理解しようとするときに、うまく理解できなくてそこに不条理という感情が生まれる、とカミュは言っている。
簡単に人が亡くなる、こんな不条理なという事件事故が多い。
どうやったらどうなるかわからないとなると、無気力、投げやりになってしまうと思う。
『シーシュポスの神話』中では、「人生は意義がなければないだけ、それだけ一層よく生きられるだろうと思えるのであろう。」と言っている。
『シーシュポスの神話』はギリシャ神話を題材にたとえみたいにして使ってる。
神々がシーシュポスに刑罰を科した、シーシュポスに岩を山の頂まで運ばせ、岩が落ちていき、又岩を頂きに運ぶ、これを永遠に行わせるという罰を与える。
全く無意味なことをやらせる、無益で希望のない労働ほど恐ろしい刑罰はないと、そういう風にギリシャの神々は考えているというところがポイントです。
第二次世界大戦のナチスの拷問、杭を打ち込ませ、又それを抜かせる、それを繰り返させる、少々の拷問に耐えられる人でもこれは駄目だった。
まったく無益なことをさせられることは人間にとって非常に厳しい。
会社で頑張っても定年になって数年すればだれがやったのかもわからなくなるし、すべては結局虚しいという所に到達するといえば言えなくもない。
カミュはシーシュポスを不条理の英雄と呼んでいる。
「頂上を目がける闘争、ただそれだけで人間の心を満たすのに十分足りるのだ。
今やシーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ。」
ふつうは生きる原動力はないが、シーシュポスはずーっとやっているわけで、そういうすべてが無くてもそれでも岩を押し上げることができる人間こそが英雄という事なんでしょうね。
普通はやめたくなると思うが、シーシュポスは下まで降りて行って持ち上げることに心を満たすに十分だといっている。
不条理と気づいた世の中で生きていくという事なんでしょうね、英雄になることは難しい。
「リトルホレスト」という映画、東京から東北に戻ってきた若い女性が、手間暇かけて自給自足をするが、きちんと生きて行くことが素敵なんです。
「生きることへの絶望なしに、生きることへの愛はない。」
(「裏と表」の一節)
本当に生きようとすると絶望が多い。
美しい風景をみて永遠の時を感じるが、美しい自然もいつかは滅びる。
絶望を踏まえないと、本当には愛せないとここでは言っている。
「カミュの手帳」の中で「美はできれば僕らの時間の続く限り引き伸ばしたいと願うような永遠を、垣間見せることによってぼくらを絶望に誘うのだ。」と言っている。
美しさに感動してこれが永遠であればいいと思うせいで、永遠ではないという絶望に誘われてしまう。
その絶望を踏まえて生きることは愛せということでもある訳です。
カミュの生まれたところはきれいな海があり、「カミュの手帳」の中でこう言っている。
「僕は海が存在してることを知っていた。だからこそ僕はこの死の時代のさなかで生きてこられた。」
「絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。」
(『ペスト』の一節)
「ショーシャンクの空に」という映画で、刑務所に慣れてしまって釈放されるとかえって不安で、釈放されたが故の自殺をしてしまうというエピソードがあり、別の囚人が刑務所の塀を指さして言う、「あの塀を見ろよ、最初は憎み、次第に慣れ、長い月日の間に頼るようになる。」
絶望に慣れるという事はこういう事なんです。
どうしたらいいかというとカミュは反抗するという事と言っています。
「子どもたちが責めさいなまれるように作られたこんな世界は愛することなどは死んでもがんじえません。」とカミュはいっている。
不条理な世の中にはあくまで反抗する、言い続ける、それが大事だといっています。
「誰にでも判るが本当には判っていない基本的な事柄をいう勇気を失わなかった」とカミュのことを言っています。
いかなる状況でも、常にカミュは暴力や殺人はいけないというが批判を受けることもあった。
広島に原爆が落とされるが、連合国軍のほうでは第二次世界大戦に終止符を打つという事で喝さいされる面があったが、カミュだけは原爆投下の2日後に原爆反対の批判の文書を発表している。
どんな理由でもどんな局面でも殺人は駄目だといえる人は魅力的です。
カミュは1960年に南仏からパリに戻る途中で、親友が運転していた車が道路わきの木に衝突して46歳で亡くなってしまいます。
「我々はおそらくこの世界が子どもたちの苦しめられる世界であることを妨げることはできません。
しかし、我々は苦しめられる子どもの数を減らすことはできます。」 カミュ