2019年7月10日水曜日

安彦良和(漫画家・アニメーションディレクター)・漫画・アニメで描く「戦争」と「人間」(2)

安彦良和(漫画家・アニメーションディレクター)・漫画・アニメで描く「戦争」と「人間」(2)
1979年からアニメ専門誌で5年連続アニメーター部門 1位があったが、1989年漫画専業となる。
アニメ界が1980年代で随分変わりました。
この世界でやっていけないとかなりはっきり見えてきて、いつかやめようと思って1989年に作った映画を最後にやめました。
メディアがリードして作っていくような空気がうまれました。
一つはオタク化(超マニア的な)、気持ちが悪かった。
もう一つは宮崎アニメが代表すると思うが、メディアが主導して発展してゆく。
「風の谷のナウシカ」1984年に作られて非常にいい作品でした。
宮崎駿高畑勲氏などは正統派だった。
私の場合はどちらでもなかった。
居心地が悪くなり漫画に転向しました。

古代史にちょっとしたきっかけで興味を持ちました。
ノンフィクションのほうが面白いのではないかと思いました。
印税入ってくる漫画の方がギャラも全然よかった。
「ナムジ」、オオクニヌシノミコトなど日本の国の成り立ちを探る漫画でした。
出雲にも何度も行きました。
同じように「神武」も書きました。
古事記、日本書紀については戦前と戦後では評価ががらりと変わります。
戦前は神話で書いてあることをあたかも歴史のように教わって、信じさせられて、戦後は信用してはいけない、歴史とは全然縁のないものだといわれるようになって、歴史を考えるうえで素材として排除されるが、僕としては両方おかしいのではないかと思います。
何かそれに近い史実があったのではないかと思います。
日本近代史3部作については、現代史は戦争の歴史ですから、古代の神話と現代の戦争を中心にした歴史が物凄く密接に結びついちゃっているという、非常に日本の不思議な形を考えてみたいと思いました。

相変わらず古代の歴史は判らない、天皇陵も調べることができない。
現代史にかかわる事なので両方から攻めてみたいというのがありました。
日清戦争、松本健一さんという思想家で北一輝の研究で有名な方ですが、民主党政権の時に内閣官房参与になって亡くなられましたが、その方にいろいろ教えていただきました。
日本はどこで間違ったのかその方に聞いたら、対華21か条の要求をしたのが、第一次世界大戦中にやったが、これが決定的に間違いのもとだとおっしゃいました。
そこに至る経緯もあっただろうと思いました。
日清戦争あたりからおかしいのではないかと思いました。
勝海舟、明治天皇も反対しましたが、全体としてはいけいけという事で戦争になりそれから間違いだらけのような気がします。
中国と日本が朝鮮を取り合うわけで、その構図も今につながるなあと思います。
日清戦争は非常に大きな対象なのではないかと思いました。

日露戦争から日韓併合あたりまでの日本のありようを書いたのが「天の血脈」です。
ロシアと日本が朝鮮を取り合う構造で、いかに朝鮮という問題が日本にとって大きいか、という事がそこからわかると思います。
古代にさかのぼると、三韓征伐と言われている神話上の事件があります。
これも何かあったのではないかと考えました。
神功皇后(息長帯比売命)が渡来系の部族の出で、神功皇后が海の向こうに国があるから行こうというので、率先して行われるものが三韓征伐というものです。
神功皇后が帰ってきてお子さんを生むが記紀の神話でも月数が合わないと書いてある。
今生むわけにはいかないという事で腹帯を締めて、出産を遅らせて帰ってきてから生んだという非常に面白い表現を神話がしている。
仲哀天皇は遠征前に死んでしまっているので、そこから数えて勘定が合わない。
そういうきわどいことを神話にして昔の人は伝えた。
普通に考えるとお父さんは仲哀天皇ではないと疑うが、昔の人も疑ったんですね、だから腹帯をしめたとかいろいといって、日韓関係が微妙なものだという象徴じゃないかと思っています。

これと日韓併合を結び付けて書くというのは、問題提起になる。
伊藤博文を暗殺した安重根なども出てきます。(暗殺する前の状態ですが)
日本では暗殺者、韓国では英雄となっていますが、決して美化したりはしていません。
テロリストでもなく英雄でもなく描いています。
そういう人が劣情にかられる時代状況があり、その時に間違ったことを日本はしてしまったという事だと思います。
安重根も日本に憧れて日本のように朝鮮を近代化しようと一生懸命頑張った人で、日本に裏切られたと思ってテロに走るわけですから。
おっちょこちょいのところもあり勘違いもしている、皇帝を毒殺したのは伊藤だという風に勘違いもしている。
「虹色のトロツキー」 満州国を舞台にした作品。
日蒙ハーフの主人公 ウムボルト 満州建国大学の学生。
1991年ごろから書き始めました。
満州建国大学へかつていった人たちに取材に行ったときには警戒されましたが、優秀な人たちでした。
「五族協和、王道楽土」新しい国を作るんだという熱意に駆られてで行くわけですが、行ってみると違うという事である種のストライキもするわけです。
彼らの問題意識には打たれるものがあります。
日本では発禁で読めない本も読めるという事で行った人もいたようです。
満州建国大学に行って人生が狂った人もいたが、みんな満州建国大学に行ったことを誇りに思っています。
OBの方もほとんどなくなりましたが、感銘を受けました。

スターリンにトロツキーは暗殺されるが、ガンジーと一緒に満州建国大学の教授に招聘しようとしたらしい。
石原莞爾が創設のきっかけをつくるが、そういうことを考えたらしい。
主人公は「五族協和、王道楽土」の建設を信じて必死に生きていくが大きな歴史の流れに抵抗できなくて埋もれて流されてしまう。
満州国は歴史上の汚点で、侵略的な傀儡国家を作って潰れてしまって、入植者,邦人はたくさんの人がひどい目にあって死んでいって、そう言う間違ったことはしてはいけないという負の歴史一面だけで語られていて、それでは満州で生きた人は浮かばれないのではないか、理想に憧れて実現しようとした人たちの人生があったわけで、肯定的になる必要もないが、その時代に生きた人たちの思いは何だったのかなあという事を考えることはとても大事なことだと思います。
昔の人は間違えて馬鹿だったねというのは違うんで、我々よりもずーっと賢明だったのに間違えた、だからわれわれも十分に間違えるよと思わないといけないという気がします。

「乾と巽」シベリア出兵の話、去年書き始めました。
1918年 100年前にあったこととしてスタートしています。
約100年前に起きたシベリア出兵を舞台に、砲撃の名手である陸軍軍曹・乾と、気鋭の新聞記者・巽という2人の青年を通し、ロシアの戦場を駆け抜けた男たちの生き様が描かれる。
低い目線でその時代にちょっと参加した気分になりたい気がして書き始めました。
これを書ききれれば自分なりに近現代史を書ききれることになります。
歴史は大きな歯車で個人は非常にちいさなもので、それ自体ドラマのような気がします。
大きなうねりと小さな個人は大きなうねりと全く関係ないんじゃなくて、うねり自体は人間が生み出しているもので、それに人間が翻弄される。
人間のかかわりの問題だと思います。

ペンではなく毛筆で描いています。
中国の削用筆を使っています。
アシスタントは次男がやっています。
時代に絡んでゆく、そういう問題意識はどこかでもっていてほしい。