2019年7月26日金曜日

いせひでこ(画家・絵本作家)       ・【人生のみちしるべ】心が立ち止まる時、物語が生まれる(1)

いせひでこ(画家・絵本作家) ・【人生のみちしるべ】心が立ち止まる時、物語が生まれる(1)
1949年北海道札幌市生まれ、今年70歳。
13歳まで北海道で過ごしその後東京へ、東京芸術大学デザイン科を卒業されています。
パリを舞台に手作りの製本をする職人と少女のお話、「ルリユールおじさん」や植物園を舞台にした「大きな木のような人」、「チェロの木」など人気絵本を数多く出版し、受賞歴も多数あります。
今も長野県安曇野市の絵本美術館で原画展を開催中です。
原画展について、北海道で過ごした子供時代から20代でパリに留学した日々、絵を描くことへの思いについて伺いました。

真っ白いものをそばに置いておきたい。
壁も白です。
白いものを見ると手が動くというか、自分の中からのもので埋めたいという性格というか、その延長線上にいると思います。
白ってある意味での恐怖で、自分が埋められるかという恐怖がります。
果たして埋められるものを自分が持っているのかと、問われているような感じがします。
目の前には大きな窓があって、目の前が壁というのも駄目です。
童話作家の文に合わせてたくさんの挿絵を描いていた時期が長くありました。
100%自分の世界ではないので原画展ができない。
自分の絵を子どもたちに観てもらいたいという事があり、絵本を描くようになってからは原画展をやるようになりました。(30年前から始める)
絵本を描きたいと思ったのは、子供のなずけようのないような感情が本の中にしみじみと出ているような本が描けたらと思いました。

23歳の時の自分の作品を持っていることを忘れていました。
松方コレクションの歴史のことは詳しく知りませんでした。
印象派ならパリで出会って物凄くいろんなことを感じて自分の源になっている画家でもある訳です。
週刊誌にカラーで描きました。
マハさん(原田マハ)の小説の挿絵を描いている途中で引っ越しがあり、実家に整理に行ったら40年前の絵がいっぱい出てきて、すごく感動しました。
パリに行く前にそれまでの作品を全部焼いてしまいました。
ゼロからやってみようという思いがあったのかと思います。
真っ白になりたいという事がありました。
日本に帰ってきてその時パステルに夢中でした。
モチーフが目に付くもの全部パステルでやってみようと思いました。
若いってすごいことだと思いました。
ゴッホやモネもこういう思いで描いていたのかなあと思いました。
自分のその時代のが出てきて、これはマハさんのために描いた絵と私の若い時の絵を一緒にすることで何か面白いことができないかなと思って今度の原画展は両方出すことにしました。

絵本作家として3つの要素がつくっていると思います。
①13歳まで北海道で育ったこと。
②13歳からチェロを学んできたこと。
③23歳からパリに行ったこと
5歳のころ保育園で絵本に目覚めました。
いわさきちひろ初山滋武井武雄とかが好きでした。(当時は名前は知らなかったが)
紙を見ると絵を描くことが当たり前のこととしてやっていました。
小学校でも同様で白い紙を見ると落ち着きました。
父は銀行に勤めて日曜洋画家でした。
母は音楽が好きでヴァイオリンを習わされました。
北海道ならではの風景は13歳までの自分を作ってくれたと思います。
白とか雪が私の子ども時代を作ったみたいに、13歳でチェロと出会ったことはなくてはならないものでした。
東京でもヴァイオリンを母は習わせたかったが、或る人からヴァイオリンよりもチェロを勧められました。
佐藤良雄先生(パブロ・カザルスに師事)に習うことになりました。
佐藤良雄先生は心から尊敬できました。
チェロに関する絵本は描きました。

34歳の時に、子育ても大変、絵の仕事も大変、生活も大変な時代でチェロの先行きも判らないという時に或る日夢を見て、チェロを持って舞台に立ったら譜面台が真っ白いスケッチブックでした。
当時3時間ぐらいしか寝ていませんでしたので、休めという事だと思いました。
自分で手作りのカザルスへの旅を作って2週間の旅をしました。(精神の解放)
そこでそのまま歩きなさいと肯定されているような感覚になりました。
旅から帰り同じ忙しさに戻ってゆくが、全然苦ではなくなりました。
母は芸術家気質な母で文学、音楽もこれをやりなさいというようなタイプの母でした。
感動するが感動する言葉を母に奪われてしまっていた。
パリに行ったことは母から離れたという事も大きかった。
いつも母が大学の行事などにもついてきていました。
自分はないんだなという卒業の仕方をしました。
アンデルセンの雪の女王だけはすごく自分の納得の行く絵本ができたので、それだけは大事にとってありますが、それ以外は全部焼き捨てることにしました。
一人になりたいと思って、2週間のフランスの旅を見つけて申し込んで出かけて、結局帰りませんでした。
本当に自由を感じました。