2019年7月3日水曜日

安倍寧(音楽評論家)           ・ショービジネスの魅力を語る(2)

安倍寧(音楽評論家)           ・ショービジネスの魅力を語る(2)
クラシック以外の音楽、ポピュラー音楽と言われているもの、ジャズ、シャンソン、中南米の音楽など様々あるが、この50年はロックが重要な役割を果たしてきました。
ポピュラーミュージックというものが日本人のエンターテーメントの主流を占めるようになった。
ラジオ、レコード(CDなども含め)も大きな音楽を伝える媒体として無視できない、この二つは音楽を伝える重要な媒体だと思います。
特に1945年以降は音楽が国民のエンターテーメントの大きな流れ、映画と並行してポピュラーミュージックがエンターテーメントの主流という時代があった。
舞台でも全然音楽が入っていないものがあったが段々なじめなくなりました。
大衆音楽が国民的なエンターテーメントの主流になってきて、舞台にも影響を及ぼした。
もともと西洋にはオペラというものがある。
帝劇でオペラを根ざそうとしてローシーがきてやったが、根付かなかった。
浅草にローシーとその一派が流れて行って、浅草オペラができる訳です。
アメリカ映画を通して音楽はシンクロナイズしていた。
チャップリンが有名でした。
マイフェアレディーのピッカリング大佐(軍人で言語学者)を益田喜頓がやったがすごかった。
「益田喜頓」というのはアメリカの喜劇役者のバスターキートンからきている。
映画、舞台の影響を受けて来た。
ミュージカルには浅草出身の人たちが大いに活躍しました。
古川ろっぱ、榎本健一などは浅草出身の喜劇俳優です、こういう人たちが初期のミュージカルを支えていました。
益田喜頓は自然に西洋人になっていたが、無声映画トーキー初期からの時からアメリカの喜劇を学んだ成果なんです。
八波むと志が江利チエミのイライザのお父さん役をやったが抜群でした。
浅草出身でその流れを今辛うじて踏んでいるのが、ビートたけしです。
その前は渥美清です。

越路吹雪は高校の時に見て吃驚したが、宝塚時代から宝塚をちょっとはみ出している(大人っぽかった)といわれていた。
越路吹雪はカルメンをやったが、不良少女のカルメンと書かれたぐらい、宝塚の枠をはみ出していたというのはその新聞批評からも判ります。
越路吹雪は「王様と私」、「南太平洋」などをやっているがもう一つ全体的にしっくりこなかった。
大阪でも「メイム」とかもやっているがスケールがもともと大きい人だったので相手役に恵まれなかった。
ミュージカルをできる俳優が存在しなかったので、喜劇的な俳優を起用することが多かった。
越路吹雪はシャンソンを勉強していた。
シャンソンを輸入したのは宝塚でした。
宝塚ではフランス系のエンターテイメントを輸入していた。
戦後になり、アメリカの兵隊たちが見に来るようになり、越路吹雪はミュージカルナンバーを歌わせたほうがいいんじゃないかというようになる。
進駐軍の兵隊たちが日本ではなかなか手に入らない譜面もあるしレコードもあるので、越路吹雪に届けて勉強しなさいということになる。
ジャズやアメリカのポピュラーソングと越路吹雪の出会いとなる訳です。
越路吹雪には宝塚で培ったシャンソンとアメリカの音楽との二つがあるわけです。
浅利慶太と越路吹雪を紹介して、新しい何かができるのではないかと思いました。
越路のシャンソンリサイタルとミュージカルと二つの花が開きました。
ドイツ、ロシアの演劇を日本に輸入する傾向が強かった。
浅利慶太はそれに抵抗するようにフランス演劇をやろうということで、劇作家のジャン・ジロドゥ、ジャン・アヌイとかそういう人たちのものを紹介した。
私は企画、演目選定、そういう役割をしました。
アメリカではポピュラーミュージックとミュージカルは兄弟のようなものでした。
ヒット曲のもとは実は全部ブロードウエーのショーなんです。
例えばサウンドオブミュージックの「ドレミの歌」ウエストサイドストーリーは「トウ ナイト トウ ナイト」などなど。
劇団四季が転機となったのは「ジーザス・クライスト・スーパースター」
(聖書を題材にイエス・キリストの最後の7日間を描いたロックミュージカル アンドリュー・ロイド・ウェバーが作曲
ミュージカルの流れからすると異端であった。
作曲家の村井邦彦が「ジーザス・クライスト・スーパースター」のことを教えてくれました。
プロデューサーの一人とあってそこから話が始まりました。
ニューヨークで「ジーザス・クライスト・スーパースター」を見て、一言でいうと腰が抜けました。
甘美な作品が多かった中で、ジーザスとユダの関係が凄くおもしろかった。
今までのミュージカルでは題材になるような人間関係ではなかった厳しい人間関係が描かれていて、そこにガンガンなるようなロック音楽が寄り添っている。
音楽もロック的な要素とオペラ的な要素が一緒になっている、すべてが新しい。
日本に紹介するということになりました。(1973年)
アメリカでは正当な芸術は何かというと舞台芸術であるというこ
とです。
ブロードウエー=リジッド(Rigid 厳格、正当などの意味)とよばれている。
ディズニーはブロードウエーに参入したいと思った。
自分たちの作ったアニメーションには全部音楽がついている。
「美女と野獣」の音楽は高く評価され、社長のマイケル・アイズナーが先頭に立って、ミュージカルに参入することになる。
「ライオンキング」(ディズニー作品)の大ヒットがでた。(エンターテーメントの王者と女性の前衛演出家ジュリー・テイモアが手を組む)
新しい要素を入れてゆくことが、エンターテーメントの発展してゆくことの重要な要素だと思います。
話題になっている「ハミルトン」 初代財務長官とラップを組み合わせている。