佐野公俊(脳神経外科医) ・目と手で生命(いのち)を吹き込む
1945年東京生まれ、母方の祖父と身近にいた叔父がともに医師であったため、子供心に医師へのあこがれを持っていました。
都立戸山高校から慶応義塾大学医学部に進み、脳神経外科を専攻しました。
卒業後1976年に愛知県にある藤田保健衛生大学(現在の藤田医科大学)に赴任し、顕微鏡とCTを用いて数多くの手術を手がけました。
血管の中にできたこぶを取り除く脳動脈瘤手術が4300例、動脈や静脈の奇形を治す手術は300例に上ると言われます。
2010年に藤田医科大学を定年退職した後は、神奈川県にある新川橋病院の副院長に就任し名古屋市と川崎市を行き来しながら、脳外科の手術や外来患者の診察にあたっています。
長年にわたって数多くの手術を手がけてきた佐野さんは手術に向かう時の自分なりの境地に達したといいます。
名古屋に住んでいますが、日曜日の夜名古屋から川崎にきます。
もっと手術を広げようと関東でも仕事をすることを選びました。
川崎では月、火で手術をして水曜は外来を診ます。
外来が終わったら名古屋に戻り、木曜が外来、夕方テニスをして、金曜日が違う病院で外来、午後はいくつかの病院で手術を入れていたところで手術をして、土曜日も病院に行って日曜日はフリーで午後テニスをして夜には川崎に向かいます。
最初は新幹線でしたが荷物が多くて最近は車にしています。
運動をやらないで、仕事をやっていると精神的にも参ってしまいますから。
7月にはブラジルとメキシコの学会に呼ばれて講演を30分ぐらいずつやる事になっています。
藤田保健衛生大学にいたころインドから研修生が来ていて、それがもとでインドとの付き合いが始まりました。
カルカッタで佐野動脈瘤手術学校を作ることになり、ライブで手術を見せて終わった後解説してという事を年に3,4回やっています。
クモ膜下出血になると70%が寝たきりまたは死亡で、30%が軽い後遺症または正常ですので、くも膜下出血になってしまうときついので脳ドックを行うといいと思います。
顕微鏡は持っていけませんが、手術道具は自分の使い慣れたものは持っていきます。
なにはともあれ安全第一で、次に美しい手術を心掛けています。
昭和20年生まれ、前日は東京大空襲だった。
母親の実家が開業医で叔父が医者で、自分自身も医者という職業に憧れていました。
手が器用だったので外科医になりたいと思っていました。
千葉大学と慶應義塾大学に受かったが、慶応義塾大学に行くことにしました。
神経学があり面白いと思って、脳神経外科を選んで、耳鼻科の手術で顕微鏡を使っているのを見て自分が日本で初めての脳神経外科として取り込もうと思っていたら、卒業するころには日本にも用いられるようになりました。
菊池晴彦先生が顕微鏡を持ち込んだ方でした。
携帯の顕微鏡を自費で購入して手術の実力をつけていきました。
藤田保健衛生大学に行くことになりました。
新しくCTが導入され、脳の中が実際に見えることは革命的でした。
昭和50年代は診断、手術も全部スタートラインに全員が立ちました。
手術の回数が圧倒的に増えていきました。
脳動脈瘤手術が4300例を数えることになりました。
年に100回手術をしても45年近くかかる勘定になります。
新しい病院だったので自由に活動できました。
35歳で助教授になり、すごい早かったです。
ギネスにも脳動脈瘤手術の回数で載りました。
当時30時間寝たこともないこともありました。
絵を描くようにしています、写真はある一面しか描けないが絵は裏側も描けます。
注意書き、要点なども書き入れていますが、それを後輩たちが見てくれると継承してくれると思っています。
手術前と手術後を描いています。
予定と結果が同じになっていることが大切です。
手術で脳の血管を止めていないといけないが、15分が限度でそれ以上だと脳が死んでしまうのでクリップを使って、脳に障害を残さないようにします。
以前手術をする時間に遅れそうになってジープで近道を急いだ時に、左前輪を土手のバンクに落としてしまいハンドルを切ると転倒するので、そのまま降りて行ってしまえと思っていたら、一番下に小さいどぶ川があり、乗り越えたが田んぼに突っ込んでしまったが、その直前の瞬間にハンドルのスペースに潜り込んだ。
奇跡的に助かることになりました。
病院に急いで泥だらけの衣服を着替えて、子どもの脳の手術を無事こなしました。
ある時に大量な下血があり、胃を検査したらでかい腫瘍が見つかりました。
腹腔鏡手術が出始めたころだったが、切開して胃を取りだして切り取って縫う方法で行って4日で帰ってきて、そのまま仕事をして、3週間後にはテニスをしました。
自分は守られているというか、神がかり的なこともありました。
神様に、僕の手に乗り移ってくださいという気持ちでやっています。
自分がやってきて得たものを次の世代にバトンタッチするために残しておけば、必ず若者は越えていけると思うので、人類のためには巨象が出てきてほしいので、手や目がしっかりしている間に残していきたい。
「術前に悩むも、術中に迷うことなく、かん?にて6分、けん?にてひぶ?に見極め、手自由にして手に道具合うを忘れ、道具手に合うを知らず、心常にして空、独座大雄峰なり」
という境地ではないかと思います。
独座大雄峰 座禅を組めば雄大な山のごとくになる、顕微鏡の前に座ってそに没頭して雑念がなくなって、自分と手術の中に埋没してその中で自然と手を動かしている、そうしているとそれが一番綺麗な手術に結果的になっている、そういう意味です。