2019年7月28日日曜日

具志堅幸司(日本体育大学学長・日本体操協会副会長)・【特選 スポーツ名場面の裏側で】

具志堅幸司(日本体育大学学長・日本体操協会副会長)・【特選 スポーツ名場面の裏側で】 五輪メダリストの証言(初回:2008.05.23)
具35年前男ロサンゼルスオリンピック男子体操で、個人総合優勝した具志堅さんのお話をお聞きします。
現在は62歳、母校の日本体育大学の学長であり、日本体操協会の副会長です。
大阪の清風高校から 日体大に進み、1984年のロサンゼルスオリンピックで個人総合と吊り輪で金メダルを獲得しました。。
現役引退後は日体大の教授、監督として内村航平選手ら数多くのオリンピック選手を育て上げました。
2008年の北京オリンピックで体操日本男子の監督を務められましたが、その具志堅さんに当時の北京オリンピックメンバーが決まった直後に行った2008年5月のアンコール放送です。

アテネオリンピックの経験者が2人で後の人は若い選手です。
勢いがあるチームと同時に不安材料もあるという事も事実ですが、合宿などを見ていると非常に勢いもあります。
立派なナショナルトレーニングセンターができてそこで合宿をやっています。
1984年ロサンゼルスオリンピック。
規定演技、自由演技がありました。
最初のあん馬で失敗して個人総合5位からのスタートでした。
緊張してああいう経験は初めてでした。
あん馬が9.90 吊り輪が9.95 跳馬が10.0 平行棒で着地が失敗して9.90
鉄棒9.95 電光表示板が故障して3種目目から消えていた。
ピーター・ビドマー選手と首位を激しく争っていた。
5種目目で0.025上回っていてトップに立つが、電光表示板にはでない。
ピーター・ビドマー選手は最後が鉄棒で先に演技をして9.90でした。
アナウンサーとしては9.875以上で具志堅優勝と言いたかったが言えない状態だったがいってしまった。

床運動は得意ではなかった。
9.8出せればいいだろうとの思いで演技をしました。
最後の後方2回宙返りの着地で足が動いてしまった。
最高で9.8だろうと思いました。
スイスの審判員が10.0 アメリカの審判員が9.9を出しました。
日本の審判が9.8を出しました。
結果、9.9という事になり優勝することができました。
もし電光表示板が作動していたらアメリカの審判は9.9は出さなかったのではないかと思いました。
メキシコのオリンピックを子どものころ見て、おれもこんな風になれるかねと母親に聞いたら、母親が努力すればなれると言ってくれて、私の心に火がついて体操に取り組んでいくが、そういう立場になるとは夢にも思わなかった。
感無量で涙が出てきました。
2度の怪我もあったし、モスクワオリンピックのボイコットもあったし、オリンピックに縁がないまま終わってしまうのかなと一時期思った事ありました。

個人総合金メダル、種目別吊り輪が金、跳馬が銀、団体で銅、鉄棒で銅メダルを獲得。
世界選手権は4回連続出場し、金2個、銀5個、銅4個 全日本優勝が4回。
現役時代は記録にはあまり記憶はなかったです。
メキシコオリンピックで見た加藤沢男選手に憧れて体操を志しました。
小学6年生でメキシコオリンピックをみて中学に入って体操を始めました。
清風高校で高校総体で初優勝しました。(昭和49年)
個人総合優勝しました。
ロサンゼルスオリンピックの体操には6人のうち4人が清風高校出身者でした。
体操はローマ、東京、メキシコ、モントリオールと5連覇、世界選手権でも5連覇の時代でした。
その後日本は苦しい時代を迎える。

練習とは考えることだと思います。
なぜ今の演技はよくなかったのか、次はどうしてみようか、自分の中で組み立てていける選手がうまくなる可能性が高いと思います。
そのためにはいろんな経験が必要だと思います。
真面目さも大事な要素だと思います。
ほかにもいろいろあるが目標を具体的に持つことも大事です。
吊り輪の十字懸垂 静止は1秒だが静止を長く続けた。(観客へのアピール)
桑原昭吉という心の師匠がいまして、体操の生活化という事のテーマを投げるんです。
一流の舞台を見てそこから何を感じるのか一遍考えろという2つのテーマを与えられました。
観衆と一体となってるのが鮮明に浮かびました。
私も体操を通して観衆から拍手をもらえるような選手になりたいと思いました。
吊り輪の十字懸垂で長く止めれば観衆が振り向いてくれるのではないかと思いました。
イメージトレーニングが大事だと思います。
第3者的に自分を見て、試合は練習のつもりで、練習は試合のつもりで、難しいが10年近くかかったが最終的にはできました。
大学3年生の時にムーンサルトの着地で失敗して、腓骨が折れて、足の裏が変転して体操ができないかも判らないというようななけがでした。

手術後3日目にはベッドの上で古い自転車のチューブで引っ張ったり、鉄アレイを持ってきてもらってやったりしました。
腹筋、背筋を鍛えたりして、退院するときには力がついていました。
上半身に筋肉がついて十字懸垂も楽にできました。
怪我をしても、だからあきらめないという事も大事だと思いました。
心理学では「自分が思うような人間に段々になって行く」という言葉があるが、悪いことを思えば悪い方に考えるでしょうし、強くなりたいと思えば強くなるエネルギーが生まれると思います。 
具志堅幸司は人一倍体操を強くなりたいと思った選手ではなかったのかなあと思います。
軸は富田で内村が食い込んできて坂本、中瀬、沖口など若いエネルギーを使いながらベテランを刺激しながら、なんとかオリンピック2連覇したいと思っています。
中国は頭一つ出ていますが、自分たちのやれる日本の体操を最後までやり通すという事だと思います。
自分が指導者になってみると、選手時代よりも厳しいと思っています。