白石冬美(声優) ・【時代を創った声】
白石さんはアニメ初代「怪物くん」の怪物くん役、「巨人の星」星飛雄馬の姉、星明子役などで知られるとともに多くのラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍されてきました。
あだ名は“チャコ” ちっちゃい子から「チャコ」というあだ名になりました。
1968年のモノクロの怪物くんの初代を担当しました。
主題歌の録音があるので歌うことになりましたが、あまりうまくいかずに夜が明けて朝になるまででやっていました。
マイクは人数分は無くて立って、入れ替わり立ち替わりやっていました。
そんなに怒ることもなく素晴らしい先輩たちでした。
子供のころは数学が大嫌いで、本を読むことは大好きで空想することも大好きでした。
した。
女学校への行きはバスで行きましたが、帰りは歩いて帰ってきて空想しながら帰ってくるのが楽しみでした。
新聞をみてSKDの松竹歌劇を受けたいと言ったら、父は「行ってきたら、どうせ落ちるんだから」と言いました。
行ってみたら凄い人数でした。(3日間の面接)
バレエ、歌など何にもお稽古をしていませんでした。
何故か受かってしまいました。
タップダンスをしましたが音が出ませんでした。
やはり基礎が大事だと思って辞めて、少女芸能学校に転校してしまいました。
タップダンスが最初の練習でした。
演技科だったので卒業したら映画か、芸術座の劇団の方に入りたかったが、配属されたのが日劇ダンシングチームでした。
しばらくやっていましたが、辞めるのには引きとめられて苦労するので「嫁ぐ」と言えば辞めさせてもらえると言う事で、或る時辞めようと思って「と」迄言ったら、「ご苦労さまでした」と言われてしまいました。
映画会社が3つタレント募集をしていてそれを受け様と思いました。
1000人近くいたが、14人に残りました。
でも落ちてしまって、その後喉の薬のコマーシャルのオーディションがありました。
TVのアシスタント、司会のお手伝いと生コマーシャルにデビューすることになりました。
或る時、目が黄色くなっていて黄疸になってしまいました。
父が医者だったので診てもらったら、肝炎になっていました。(忙しすぎた)
約1年位治療しました。
もどってもなんの役もありませんので辞めようと思ったが、父からは10年して駄目だったら戻ってもいいが、10年以下ではだめだと言われてしまいました。
アルバイトをしたり、声がかかる仕事には出掛けたりしていましたが、君は声が変わっているねと言われました。
声の仕事もいいかなあと思いました。
吹き替えの仕事があり、最初は2,3言でした。
1967年にラジオの深夜番組のパーソナリティーを始めて、野沢那智さんと組んで15年間続きました。
その後色々やって25年です。
ラジオって2人でやっているだけでは駄目で、聞いている人たちがいて、それぞれの頭の中にそれぞれの想像が浮かぶ訳です、それが素敵です。
ラジオには自由度があり、声優としては書いてあることを表現しなければいけないので、上手く行く事もあれば上手く行かないこともあります。
巨人の星の明子役は大人なのでできませんと言ったら、明子は中学生だと言われました。
モノクロからカラーになる時には野沢さんになりました。
糊代が無いといけないと思うので、余裕をもつ、自分の幅をくっつけるところがいいのではないかと思います。
1982年に「パタリロ!」、どたばたアニメが始まる。
思い出に残る作品です。
キャラクターが変わっていてやることなす事変わっていて、だからやり手が無くてと言う事でした。
最期だから行ってきてと言われて、行きました。
最初にやったら可愛すぎると言われてしまいました。
声優にとって大切なことは、自分を大切にすることだと思います。
諦めてはだめだと思います。
一所懸命やっていて、やっていることが楽しければずーっとやっていればいいと思う、そうすると絶対に楽しく無くなった時が終わりです。
或る時幕が下りる時があると思うが、下ろしたくないならやっていなくてはいけない。