2019年3月10日日曜日

宗茂(元マラソンランナー)        ・【スポーツ名場面の裏側で】五輪マラソンランナーの証言(2)

宗茂(元マラソンランナー)・【スポーツ名場面の裏側で】五輪マラソンランナーの証言(2)
大分県出身、66歳。 双子の弟猛さんと一緒に宮崎県の実業団チーム旭化成で活躍し、日本で初めてマラソンで2時間10分の壁を破りました。
オリンピックではモントリオール、日本は不参加だったモスクワ、ロサンゼルスと3大会連続で代表になるなど、1970年代から80年代にかけてまさに日本を代表するマラソンランナーでした。
現役選手を引退してから現在に到るまでについて伺います。

練習を組むのは弟が組むんです、それに乗っかるんです。
弟はピッチ走法で私はストライド走法なので、違いがあり弟の90%の練習ができればいいと思っていました。
26,7歳まではばらばらに練習していました。
精神的なスタミナは無くて、弟みたいに持っていないとマラソンでは勝負できないと思っていました。
8月になると1週間で40kmを3回やり、精神的なものを克服しました。
福岡国際マラソンで猛選手がトップ争いで、弟が良かったが、作戦ミスだった。
38kmで弟がスパートを掛けたらよかったが40kmだった。
40kmで瀬古選手が追い抜いて優勝した。
弟とは1分間で17,8歩違います。
利き腕も違います。
性格は180度違うと言う事は無くて20度位です。
22回兄弟が出て、茂が先にゴールしたのが12回、猛が10回。
秒差の勝負は4回全部勝ちましたが、負ける時には分差の勝負でした。

現役引退後旭化成陸上部監督となる。
①ゴルフはしない。
②用事もないのに夜飲みに行かない。
この二つを決めました。
選手がいかに考えて練習するかを第一に考えました。
次の年は選手の意欲分だけは選手に返そうかと考えました。
それがいい方向に作用しました。
しかしその時その時で指導の仕方は変わって行くと感じます。
育てた選手では、森下広一(バルセロナオリンピックマラソン銀)、小島宗幸・忠幸兄弟、川嶋伸次(前東洋大監督。シドニーオリンピックマラソン代表)、宮原美佐子等です。
2005年に監督を弟の猛に渡す。
九州延岡にある九州保健福祉大学の客員教授として気功の研究を続けることになります。
気功、自然治癒能力を高めるとか、面白い世界だと思います。
「気」は送ります。
この人はどこが原因なんだと言う事は自然に判ってきたりします。
監督になって直ぐに或る気功の先生と接しました。
阿部に対して「気」を入れたら、阿部が動き始めて俺も気が出来るんだと判りました。(36,7歳)
それで興味が湧きこの道に入って行きました。
今は病気で苦しんでいる人を、今の状態から少し改善してやると言う事をやっていますが、監督時代にもう少しレベル上げてやると言う、一段階上げてやると言う意味では同じことだと思います。

鞭うちで首が回らない人が4回やっただけで普通の生活ができるとか、改善していきました。
ぎっくり腰が改善したとか、がん患者に「気」を送るとがんのマーカーが下がるとかもやっています。
自分を必要としてくれる人が周りにいると言う事が、生きる上での生き甲斐だと思います。
気功を通じて必要としてくれる人が一人でも多くいると言う事が、自分の生き甲斐となっていけば悪いものではないと思います。
マラソンが、一番自分が高い次元の世界に自分を置くことができると言う事でした。
違う分野で高い次元に来ている人達と会って、そう言う人達からいろんな話を聞いて自分の財産にもなります。
京セラの稲盛さんとも話をして凄く財産にもなりました。

選手をプラス方向にどうもっていくかが大事で、どう言うかが大事です。
2020年東京オリンピクは面白いと思います。
大迫 傑(おおさこ すぐる)、井上 直紀、服部 勇馬当たりが抜けていると思いますが、弟は佐藤 悠基(さとう ゆうき)を買っていますし、設楽 悠太(したら ゆうた)もいます。。
女子はちょっと苦しいですね。
暑さにも強く記録も持っていて精神的にも強い選手がオリンピックのスタートラインに立ち、かつ結構そこそこ暑ければ3位以内に入る可能性もあります。