2019年3月30日土曜日

松下由樹(女優)              ・「芸どころ 名古屋」が育んだ女優・松下由樹さん 35年の女優人生を語る

松下由樹(女優) ・「芸どころ 名古屋」が育んだ女優・松下由樹さん 35年の女優人生を語る

1968年生まれ、50歳、名古屋市出身。
1983年15歳で映画『アイコ十六歳』でデビュー。
第15回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞するなど、35年間女優として活躍中。

名古屋ではお祭り、山車をひいたり、色んな事が華やかに派手にするなど、もてなしたり、楽しませませたりするのが、どこかに根付いているような気がします。
どこか控えめなところ、奥ゆかしさがありながら、キンキラキンが大好きだったり面白さはあるが、受け入れたらとことん受け入れる、厳しさもある、そんなところがある様な気がします。
映画『アイコ十六歳』は名古屋を舞台にした映画でした。
「貴方も夏休みに映画に出てみませんか」というキャッチフレーズで、地下鉄でチラシを配っていました。
応募したら全国12万7000人の中から選ばれることになりました。
名古屋弁を前面に出しました。
1986年から1988年までNHKの「ヤングスタジオ101」でダンサーでレギュラー出演。
ダンスは高校生から習いましたが、大変でした。
167cmなので身長が高いのでやったらどうかと勧められました。
緊張すると固まってくるので、リラックスするには自分の柔らかくなるポイントを掴んでおくと楽です。
身体全部ダランとするだけでも違います。

1989年のTVドラマ『オイシーのが好き!』が初主演作。
1990年の『想い出にかわるまで』のドラマで、姉(今井美樹)の恋人(石田純一)を奪う妹役という強烈な役を演じ、注目される。(21歳)
世間から冷たい目で見られましたが、近くからもそういう感じで見られました。
1999年に「週末婚」という作品に出会いますが、私は姉の役で妹の幸せをねたんで比べてしまう役をやりましたが、思い切り嫌われようと言うふうにしました。
1996年から準主役で出演している『ナースのお仕事』は連続ドラマ4シリーズ、映画化もされる人気作となった。
職業を持っている役は私自身は知らないことを知ることができておもしろいです。
主人公のドジな新米ナース・朝倉いずみが、笑いあり・涙ありの経験を重ね、一人前の看護婦・一人の女性として成長していく姿を描く。
ナースをやらせてもらった時には当初はコメディーとして受け止められませんでした。
先輩ナースとドジなナースとのコンビが段々受け入れられていきました。
ナースとしての色んなしぐさ、言葉などをいろいろ教わりました。

2001年からバラエティ番組『水10! ココリコミラクルタイプ』に出演。
色んな種類の人の演技を短い時間でしなくてはいけなくて、そこを掴む作業は凄く勉強になりました。
アドリブではなく、作り込んでのコント番組でした。
2004年にはドラマ『大奥〜第一章〜』に主演、春日局(お福)を演じ、時代劇での新境地を開けました。
サクセスストーリーが現在と通じるものがあるのではないかと思います。
春日局は他の方もやっているので、良く知っている人たちがOKと思ってもらえるものを、私のハードルとしてもってやらせてもらっていました。
受け入れてもらえたかもしれないと思いました。
長いセリフがあるが、覚え方はバラバラです。
ひとつはあまり静かなところでは覚えないです、撮影するところは静かではないです。
どんな状況でも覚えられるようにしていきました。

35年続けてこれていること、続けて行くことが大事だと思っているので、まだまだ言えないと言う事が正直なところです。
自分でも女優やっていきたい、お芝居が好き、あきることが無い、尽きることが無いと言う事がベースにはありま
すが、やっぱり周りの人に支えられていることが一番大きいと思います。
50代に入って行くが、たのしみ、難しさ、作品を通して原点に引き返されたり、色んな事を経験させてもらう有難さがあります。
相手役とのコンビネーションが無いと、はまっていかなかったり、受け入れられなかったりするので、相手の方の協力、自分が寄りそったり、自分自身も向かい合おうとするとかを覚えていったのは、若い時とは違う事なんじゃないかと思っています。
お互いが引き立て合えることができる事が身についてゆく、そこを意識する事は若い時にはなかったことかと思います。
年齢は積み重ねの大事な一つだと思っています。
チャレンジはいつでもできるので、どの年代でも変わらないと思うので、まだまだなんじゃないのという気持ちを持つことも重要になってくると思う。
いろんな物に挑戦して、みんなに楽しんでいける作品を作れたらいいなと思っています。