「私ほど境遇の奴隷と呼ぶにふさわしいものはいないでしょう。
色々な力に押しまくられ最も抵抗の少ない方向に流されてきたのです。」
(ヘンリー・ワトキンへの手紙の一節 小泉八雲)
ドナルド・キーンさんが亡くなられました。
日本人が日本の古典文学等にあまり関心を示さないようなことをうれいていました。
アメリカから日本にやってきて、日本国籍を取って小泉八雲という名前に変えて、日本人に日本のどこが素晴らしいのか教えてくれた人でした。
頭に浮かぶのが「怪談」です。
NHKの「日本の面影」と言うTVドラマ、小泉八雲の生涯を描いたドラマで、見てこんなに魅力的な人かとびっくりしました。 小泉八雲の妻のセツさんが小泉八雲が亡くなったあとに「思い出の記」を書いていて、その中に出て来る小泉八雲がすごく魅力的なんですね。
境遇の奴隷と言ってますが、そういうにいうのも無理がないほど、おいたちがかなり複雑です。
1850年6月27日 レフカダ島(地中海の小さな島)生れ。
母親はギリシャ人、父親はアイルランド人でイギリス軍の軍医としてギリシャにやってきて結婚する。
アイルランドに戻るが、父親は任務で海外に赴任してしまう。
母親は慣れない土地で精神を病んでしまう。
母親は子供のハーンを残して一人でギリシャに帰ってしまう。
両親はそれぞれ別の相手と再婚してしまう。
ハーンは大伯母に育てられるが、大伯母は金持ちで若い投資家にいれあげて破産してしまう。(ハーン17歳)
学校にも行けなくなって、ロンドンのスラム街をさまよいあるくことになる。
19歳で一人でアメリカに渡り、職を転々としながら図書館でむさぼるように文学を読んでいた。
22歳になった時に原稿を新聞社に持ち込んで採用され旅行記を書くようになる。
日本に行って旅行記を書かないかと出版社から提案があり、日本に来ることになる。
「いかなるものも愛すまいと心に誓いながら、くるおしいほど激しく愛してしまう、さまざまな土地に、さまざまな事物に、様々な人物に激しく惹かれてしまう。
そしてごらんなさい、すべては泡沫の様に消え去り一条の夢と化す。
まるで人生そのものの様に。」 (ヘンリー・ワトキンへの手紙の一節 小泉八雲)
日本に来たハーンは日本の素晴らしさに夢中になる。
「知られざる日本の面影」という本に、日本に来た時の印象を克明に描いている。
島根県の松江の中学校の先生になり、松江が凄く気に入る。
松江の朝の情景を美しい文章で書いている、特に「音」に対する感性が鋭い。
16歳の時に事故に遭い左目を失明して、以後性格が変わったと言われる。
右目もかなり近眼であったようで、耳の鋭さが、敏感なのが特徴だと思います。
「神々を相手に途方にくれないものがあるだろうか。
生そのものが迷夢以外の何ものであろう。」
(「夏の日の夢」から引用)
両親との別離、貧乏、失明とか神様はどうしてこんな目に合わせるのだろうかと思ってしまう。
松江の中学校の西田先生と凄く仲良くなるが西田先生は結核になってしまう。
「あの病気 いかに神様は悪いですね。 私、立腹。
あのような良い人です。 あのような病気まいります。
ですから世界はむごいです。 何故悪しき人に悪しき病気まいりません。」
ハーンは松江でヘルンさんと間違われて呼ばれたが、面白がってそのままにしていた。
妻もそのように呼んでいた。
妻は小泉セツ(島根県士族小泉湊の二女)
困窮していて、外国人の家にお手伝いさんとして働きに行くことは、屈辱的な仕事だったが、それほど困っていた。
セツさんも境遇の奴隷と呼ばれるような状況だった。
ヘルンさんは小さいもの、弱い者に対して優しいが、その反対の人には物凄く腹を立てる人です。
そのせいで人間関係の問題を色々起こす。
優しくて怒りっぽい人です。
私(頭木弘樹)も病気をしましたが、病気をすると自然の美しさが物凄く胸に刺さるんですね。
ハーンも自然が大好きで鳥とか虫とかが大好きで、そういうものの見方には不幸の環境とか失明した事が関係していると思います。
幸せで元気な時には見逃していた魅力が、気づけるようになったんだと思います。
「耳なし芳一」は気に入っていてのめり込んで書いて行った。
「虫の声一つあれば優美で繊細な空想を次々に呼び起こす事が出来る国民から、たしかに私達西洋人は学ぶべきものがある。
自然を知ると言うことにかけては大地の喜びと、美とを感じるということにかけては、古のギリシャ人のごとく日本人は私たちをはるかにしのいでいる。
しかし西洋人が驚いて後悔しながら自分たちが破壊したものの魅力を判り始めるのは、今日明日のことではなく、先の見えない猪突猛進的な産業化が日本の人々の楽園を駄目にしてしまった時、つまり美の代わりに実用的なもの、月並みなもの、品のないもの、全く醜悪なもの、こういったものをいたるところで用いた時のことになるだろう。」
(「日本の心」より)
ハーンが日本に来たのが明治23年(1890年)、日本が西洋化を進めている処を目にしている。
後の日本を予測している、警告を含めている。
役に立たないものは否定されてしまう、不要とされている人とかものとかが実は世の中をどれほど潤しているのか知れない。
ハーンは見向きもされなくなった、切り捨てられて行くものに対して、目を向けてその美しさ、魅力を発見していった。
ハーンはいいところがあると言って、妻を蛙の鳴き声のする墓場に連れて行く。
怪談を好んだのも同じことで、迷信とか怪談は世の中がどんどん発展してゆく世の中では
真っ先に追いやられてしまうが、小泉八雲はそれをいつくしむわけです。
「25年前のある夏の夕方、ロンドンの或る公園で、私は少女が通り過ぎる或る人に向かって「さようなら」と行っているのを聞いたことがある。
それはただ「さようなら」「Good Night」という短い言葉にすぎなかった。
私はこの少女が誰であるかを知らない、顔さえ見なかった。
声も二度とは聞いてはいない。
それなのにその後100回も季節を送り迎えした後まで、その「さようなら」「Good Night」という少女の言葉を思いだすと、喜びと苦痛の不思議に入り混じった感動に胸を締め付けられる思いがする。
愛情から出た言葉には全人類、幾百億の声に共通する優しい音色がある。」
(「門付け」という本の文章の一節)
ハーンはいいところがあると言って、妻を蛙の鳴き声のする墓場に連れて行く。
怪談を好んだのも同じことで、迷信とか怪談は世の中がどんどん発展してゆく世の中では
真っ先に追いやられてしまうが、小泉八雲はそれをいつくしむわけです。
「25年前のある夏の夕方、ロンドンの或る公園で、私は少女が通り過ぎる或る人に向かって「さようなら」と行っているのを聞いたことがある。
それはただ「さようなら」「Good Night」という短い言葉にすぎなかった。
私はこの少女が誰であるかを知らない、顔さえ見なかった。
声も二度とは聞いてはいない。
それなのにその後100回も季節を送り迎えした後まで、その「さようなら」「Good Night」という少女の言葉を思いだすと、喜びと苦痛の不思議に入り混じった感動に胸を締め付けられる思いがする。
愛情から出た言葉には全人類、幾百億の声に共通する優しい音色がある。」
(「門付け」という本の文章の一節)
通りすがりの人からの何でもない一言で、こんなにも胸をゆすぶられるのは絶望している人にしかあり得ないことだと思います。
今失われてしまっている、軽視されていしまっている、思いやり、はかなさ、脆さ、美しさ、そういったものがとっても魅力的に描かれている。
とっても大事なものを失ったんだぞと、気付かせてくれるのが、小泉八雲だと思います。