2019年3月28日木曜日

小和田哲男(静岡大学名誉教授)        ・戦国と現代をつなぐ放送文化

小和田哲男(静岡大学名誉教授)         ・戦国と現代をつなぐ放送文化
小和田さんは長年にわたってNHKの歴史番組に御出演のほか、大河ドラマの時代考証をしてきました。
来年の大河ドラマの「麒麟(きりん)がくる」の時代考証も決まっています。
今回は「戦国と現代をつなぐ放送文化」と題して、大河ドラマの時代考証とはどういう仕事をするのかを、これまでの成功例、失敗例などを上げてお話しいただきました。

執筆、監修と言う事を通して、そして放送を通して戦国と現代を繋ぐ道筋などをお話ししたいと思っています。
1991年の放送、「決戦関ヶ原」で最初の出演で、関ヶ原に関する資料を調べました。
それがライフワークにもなりました。
新しい解釈、謎解き、そういったものを、放送を通して浮き彫りにしたいと思っています。
或る程度の裏づけを準備しながら新鮮味のある番組作りをしたいと思っています。
通説、定説が全てではないと言う事も伝えたいと思っています。
放送文化を通して一人でも歴史好きの人が増えてくれればいいと思っています。

大河ドラマは56年の歴史があります。
昭和38年が最初で「花の生涯」でした。
平成8年に「秀吉」の時に初めて引き受けました。
主役 竹中直人、原作は堺屋太一さんでした。(書き下ろし原作)
2006年「功名が辻」位から、3年に一度位で大河ドラマの時代考証を担当しました。
私としては「麒麟(きりん)がくる」が7作目になります。
シナリオ台本のチェックから始まります。
基本は史実との整合性をチェックします。
①原作があるパターンで原作者が生きている。
②原作があるパターンで原作者が亡くなっている。
③原作なし。
原作なしが一番やりやすいです。
次に原作者が生きている時で、原作者と交渉して原作が脚本の段階で手直しが生きて来る。
困るのが原作者が亡くなっている場合で、時代考証の意見が通りにくい。

絶対あり得ないと言う時には止めてもらう。
グレーゾーンの場合には、或る程度フィクションであっても許容範囲と考えています。
台本チェックで大事なのは、人名、地名の直しがあります。
1996年の「秀吉」の時に、浅井長政を「あざいながまさ」という発音で放送してもらいました。
大学院生の頃、地元の人がみんな「あざい」と発音していました。
地名も浅井で「あざい」と発音していました。
「功名が辻」の時も、主人公の山内一豊ですが、「やまのうちかずとよ」と呼ばれていましたが、「やまうちかずとよ」としました。
静岡県掛川市で掛川城の木製の復元がありましたが、竣工式の日に或る方が「やまうち」ですと挨拶してきました。
その方は一豊から数えて17代目の山内豊秋さんでした。
調べていったら漢字ではよく判らなかったが女性の手紙がでてきて、平仮名で「やまうちつしまどの」(山内一豊の事)となっていて、「やまうち」が正しいと思いました。

地名もあります。
「秀吉」の時、天正18年(1590年)小田原攻めの時に、石垣山城を作りましたが、脚本家が書いてきたのは、秀吉の台詞で「わしゃあ、この石垣山に城を作りたいと思う」
と書いてありました。
当時は石垣山という名称は無かったが、後に建物は崩れてなくなって石垣だけが残っていて石垣山と言われるようになったと言われる。
調べてみたら笠懸山という事で台詞は変更されました。
伏見桃山城が当たり前に通用していましたが、秀吉の時代には桃山という言い方はなかった。
伏見城が廃城になって、近くのお百姓さんが桃を植え綺麗に咲いて、誰とはなしに桃山というようになりました。
「伏見城」ということにして貰っています。
現代と戦国では時間とか距離など色々ずれがみられます。
2014年「軍師官兵衛」の時、大阪の福島正則の家で酒盛りがあり、出席していた官兵衛が翌日京都の朝のお茶会に出席している、これはだめですよと言いました。
夜まで飲んでいて、京都の朝のお茶会は無理ですと言いました。
日をずらすと言う事をやってもらいました。
多いのが旧暦と新暦の違いで「秀吉」の時に、ナレーションで「元亀元年四月織田信長軍桜吹雪の中を越前に向けて出陣」となっているが、4月20日ということは判っているが旧暦で、新暦では5月半ばで京都の桜は散ってしまっている。

2009年「天地人」の時、春日山城内での酒盛りのシーン、「越後は米どころじゃ、酒どころじゃ、じゃんじゃん飲め」とあるが、「じゃんじゃん」はないです。
又、戦国時代の越後はまだ米どころでも酒どころでもなかった。
新潟の酒がおいしいと言われるようになったのはここ50年位です。
言葉使いの直しも大変な作業になります。
「功名が辻」の時、「わしゃあ 絶対家族を守る」とあるが、「家族」、「絶対」は戦国時代にはなかった。
「わしゃあ 妻や子を守る」という風に変えてもらいました。
当時「平和」という言葉もなかった。

「江〜姫たちの戦国〜」の最初の回で、小谷城を信長が3年間攻めるが、文献的に火をかけたという記載はないし、考古学的にも焼けた形跡はなかった。
お市がお城を出る時に城を振り返るシーンでは、煙をちょっとだけ出させてほしいと言うことだった、でも本格的に燃えていましたが。
後日談があって、お城の研究仲間からは苦情を言われましたが。
「軍師官兵衛」 官兵衛が子供の頃、薬草を池のほとりに取りに行った時の場面で、池の名前を付けてほしいという事で、「竜神池」と付けて放送したら、直ぐにNHKにクレームが来て、勝手な池の名前を付けないでくださいと言われてしまいました。
他にも質問の電話が一杯きたようです。
三木城攻め、別所長治はあんな年寄りではないとクレームが来て、「軍師官兵衛」では失敗を生かせました。
「軍師官兵衛」で官兵衛が信長から刀を貰うと言う事で、渡したが、刀剣研究者から間違っていると言われました。
今は刀(かたな)で良いが、当時は太刀(たち)だったといわれました。

歴史に対する日本人の歴史観形成に大河ドラマは大きな役割を果たしている。
その責任の重大さはあると思っています。
単なる信長、秀吉、家康直の武将のドラマだけではなく、下支えをしている戦国時代を生きた武将、庶民の生の姿を出したいなと思います。
史実がどこなのか、どこからフィクションなのかという処も、少しずつ出していってるのかなあと思っています。
1969年「天と地と」 武田信玄の文書に山本勘助の実在であることが浮かび上がってきた。
歴史研究者の間では架空の軍師だという風に言われていた。
甲陽軍鑑、山本勘助の事が書かれていて偽書扱いされていたが、山本勘助の実在がはっきりして、偽書説のレッテルは剥がれました。
明智光秀、謀反人のイメージだったが、明智光秀が主人公になって、今までの単なる謀反人とは違った光秀像が描かれてくるだろうと思います。
敗者の方の消された歴史を掘り起こす、探し出す、そういう研究がさらに生れてくると思います。