池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト) ・「楽しく老いる秘訣」
古希を迎えた70歳から市販の手帳に「すごいトシヨリBOOK」という題名をつけて自分や身の回りの人の老いのしるし、兆候などを観察して記録してきました。
77歳にはこの世に居ないと予定を立てて書き始めたこの観察手帳も、いつの間にか期限を過ぎ、老人になって気付いた事の記録も膨大になっていました。
その記録を整理し、手帳と同じタイトルの「すごいトシヨリBOOK」を出版されました。
池内さんが老人になって気付いたことを記録し続けてきて、発見した楽しく老いる秘訣とは何なのか、伺いました。
老いた人間はそのなかに結構若さがあったり、悟りがあったり色んなものが混じり合っているので、タイトルも混じりあったものがいいだろうと思いました。
70歳を迎えて、60歳に対してかなり老けているので、記録を77歳までとってみようかなと思いました。
77歳を越えたらこの世に居ない事を想定して記録を取って見ようと始めました。
これは年寄りくさい、如何にも年寄りだとか、毎日気がついたりした事の記録です。
気力、体力も衰えて来るが、そこから身をそらすのは卑怯ではないかと思いました。
わざと老いに逆らってみると言うこと自体が老いのしるしです。
新しい言葉、カタカナ、若い人の言葉、早口がわからなくなってくる、だから世界が段々疎くなる、言葉から見放される。
しかし老人の宿命です。
元同僚、元同窓、元同じクラブとか、元がついて、そういうところに仲間ができて、共通点が多いし、年齢的にも近いので集まって話がしやすいので、元なんとかと群れるという特性があります。
群れる中では何にも出てこないんじゃないかと思います。
年寄りは不機嫌ですね。
おしゃべりが終わった後のなんかうつろな感じがする。
群れないで色々観察したり耳を傾けてひとりでいることを選んだほうが、毎日が楽しいんじゃないかと思います。
物がなくなって探してしばらくしてから見つかったりしますが、ものがもののけになって悪戯をしてると考えるんです。
老化早見表 三角のピラミッドがあり底辺が老化の始まりで、段々進行して行って頂点に達する、その現象が書いてあって自分がどのあたりにいるか、一目でわかるようにしたものです。
3段階ぐらいでいいです。
第一段 ①失名症(名前を忘れる) ②横取り症(話を横取する) ③同一志向症(靴など決めた所に置いていないと非常に不愉快) ④整理整頓症(きちっと整理して置かないと落ち着かない)⑤せかせか症(せかせかしている) ⑥過去すり替え症(過去の武勇談、自慢話があるが、願望が事実になってしまうようにすり替えてしまう)
⑦一時的記憶脱落症(二階から降りてきてなにしに降りて来たんだっけと一時的に忘れてしまう)
第二段 ①年齢執着症(やたら年齢に執着する 相手の年齢が気になる) ②ベラベラ症(対話を始めたら直ぐに横取りして、ベラベラとしゃべってとどまる処が無い)
③失語症(言葉が出てこない) ④指図分裂症(指図したがる 指図される側になるのを嫌がる) ⑤過去ねつ造症(過去すり替え症のもっと進んだ形) ⑥記憶脱落症(出掛けた理由が判らず天をにらんで立ちつくすような脱落状態)
第三段 ①忘却忘却症(話したと言う事を忘れて、忘れたと言う事を忘れる 老化の極みに近い 自分では手の施しようがない)
「お金を使わないで暮らす術」
暇ができて、お(O)金を使(T)わないで暮(K)らす時間を楽しむ術(J)、知恵を養った方がいいのではないないかというのが私の考えです。
「OTKJ」
①自分が住んでる街、近所の街の祭りをメモしておいて、月に一回ぐらいはその祭りを楽しむ。
②美術館はいつ行ってもいいし、何時間居てもいい。
常設館では安いし、いいものがある、人も少ない。
③自立の進め、TVと手を切りなさいと言うことです。(情報からの自立)
TVの製作は若い人がやっている。(老人からの目線ではない)
自分で考えることが必要。
ラジオはいつでも自由に聞ける。
「ラジオ深夜便」の人気のあるのは、そこに自分が求めている馴染みやすい声の時間があるという素朴な喜びと、自分の感覚が或る程度納得できるような形で番組が作られている、それが特徴だと思います。
TVを置かなければ夫婦の対話もできる。
家族からの自立、一緒という事がよきことのように感じるが、妻からの自立。
夫婦旅行をする時には、各々自由に見て回ったりすることで、お互いの見聞の話ができる。
④自分の行きつけの店をあちこちに作る、休みどころ。(喫茶店、居酒屋など)
宿などもいくつかあるといいと思う、自分の別荘といった感覚で。
⑤老いたらおシャレになりなさい。
しゃれた服を着ると言うのではなくて、近くのコンビニとか郵便局に行く時でもちゃんと着替えをするという事が書いてありましたが印象的でした。
老いと病
故障が治るものと治せないものが出てきて、治せないものが病に繋がって行き、死が徐々に近づいて来ると言う事があるが、目をそらさないで見ておく。
自分の責任でどう生きるかというその生き方が、どう死ぬかという死に方に結びついていると思います。
病があっても、強い薬を飲むとか手術をするとかして治そうとするが治そうとしない、、自分の中にある病気と共に生きる、共生、そして何年間か過ごして終わりになる、そういう生き方を私は考えています。
風の様に亡くなる、そういうふうに亡くなりたい。
目標の77歳は過ぎてしまったので、もし生きていれば3年単位で「おまけの人生手帳」として、3年単位で更新して行こうと思っています。