藤間勘十郎(日本舞踊家、歌舞伎舞踊振付師) ・【にっぽんの音】
案内役 能楽師狂言方 大藏基誠
高校1年生の時から振付師見習いという事で仕事を本格的に始めました。
勘十郎を名のったのは22歳からです。
1980年東京生まれ、39歳になります。
歌舞伎を支える藤間流宗家の8世です。
祖父は歌舞伎の名振付師と言われた人間国宝の六世藤間勘十郎、母親は三世藤間勘祖
父親は能楽師で人間国宝五十六世梅若六郎。
日本舞踊を始めたのは2歳、初舞台を踏んだ時のお稽古は覚えています。
母親からは厳しく教えてもらって、祖父からは可愛がられました。
芸に対して厭だったことはありませんでした。
市川海老蔵さん、三宅健さんの「羅生門」の振付、全体監修を今やっています。
歌舞伎化する処に入ってやっています。
現代語で書かれていた作品を三味線枠が入るような言葉に変えて、主題、流れ、言いたいことを変えないようにして、直してゆく仕事です。
にわか仕込みでは出来ないことです。
祖父と父は似ているところはあります。
お能の方が制約が厳しいです。
市川海老城さんとは30年位の付き合いで、幼稚園、子供のころからです。
彼がやりたいことは判るようになりました。
歌舞伎においては舞踊が重大な位置を占めます。
歌舞伎舞踊振付師の大きな仕事としては、新しく作品を作る時に、振りをつけますが、割と演出家に近いです。
古典の物を教えることもありますが、基本の振りは同じでも色んな人がいるので、それぞれ成駒屋なら成駒屋なりの型があるので、それに準じながら変えて行くと言う事も行います。
普段のお稽古をすることも大きな仕事になっています。
人間観察は好きです。
お客さんの反応を見たりするのも面白くて、特に初日は特別です。
5歳と1歳の子がいます。
初舞台は息子と同じだと思っていたら、息子の方が二歳半で早かったです、私は三歳でした。
大藏:『よあけの焚き火』と言う映画を息子と撮りまして、親子が二人で山小屋にこもって狂言の稽古をするという映画です。
伝えると言う事をテーマにした映画です。
伝えることのむずかしさ、昔ながらの教え方がどこまで通用するのか、たまに思う事があります。
父親は背中を見せると言うタイプだったが、教え方についてどう思いますか。
藤間:本人がやる気がなかったらやって欲しくない。
長男は好きですが、次男はまだ小さいから判らないです。
子供は吃驚するぐらい覚えるのが早いです。
子供に伝えるのは割と容易ですが、お弟子さんに伝えるのは意外と難しいですね、
稽古とレッスンを間違えている人がいますね。
大藏:僕らがしっかり楽しんで向き合って行くのが芸を伝えていくことになるのかなあと思います。
藤間:バーチャル、洋楽など色んなものを取り入れたりする時もありましが、歌舞伎役者がその世界に入るのか歌舞伎の中にそのものを取り入れるのかが、一つの分岐点だと思いますが、歌舞伎の中に取り入れるには何でもやりゃいいというものではないと思っています。
古風なものに補うことによって感動を呼び起こすならいいと思っています、あくまでプラスアルファで考えないといけないと思っています。
古典の真ん中を行くような作品をやって、お客さんを無視して自分がきちんと作品に対して向かい合って、そこで勝負をしないと、歌舞伎にしても日本舞踊にしても、真っ向勝負してお客様がアッと思わせるようにならなければいけないと思って、今はあえてそうしています。
ブラジルへ公演に行った時に「三番叟」と新作、父は同時期にギリシャにいって「翁」と新作をやりましたが、評判が良かったのはお互いに「三番叟」と「翁」でした。
古典にはかなわないと思います。
好きな日本の音、自然界の音、水が流れる音、風が吹く音、鳥が鳴く音、海の波の音などが好きです。
雪の音は音が無いが太鼓一つで演奏する、それは僕たちの先人の凄まじい知恵だと思います。
聞いているだけで寒くなってきます。
自分の役に徹して一舞踊家としてやってみたい思いはあります。