2018年7月6日金曜日

伊藤昌輝(元ベネズエラ大使)       ・スペイン語で百人一首

伊藤昌輝(元ベネズエラ大使)       ・スペイン語で百人一首
1941年昭和18年大阪市生まれ、高校生時代に見たスペイン映画でスペイン語の発音に魅せられ、スペイン語を人生の伴侶として過ごされました。
大阪外国語大学でスペイン語を学び外交官となりその大半をスペイン語圏の中南米で勤務し、ホンジュラス、ベネズエラの大使を歴任し退官されました。
伊藤さんは在任中日本へのファンを増やそうと日本の古典方丈記をスペイン語で出版しました。
これが中南米で大きな反響を呼び、退官後は次々と古典の対訳版日本語とスペイン語を併記した本を出版。
2年前に「小倉百人一首」を出版しました。
スペイン語で読む小倉百人一首はピアニストによりコンサートが開かれるなど思わぬ展開を見せています。

詩は比較的やり易いと思われるが、百人一首は5、7、5、7、7という規則があるし、中身も平安、鎌倉時代で簡単ではないが、百人一首は日本人の心を一番伝える古典であろうと言うことで、出来たら自分の手でスペイン語に訳したいと以前から持っていました。
高校時代から日本の古典にはかなり関心を持っていました。
大学でスペイン語を習い始めてから、日本文学をスペイン語の世界に紹介できればなあと思っていました。
日本から外に向かって発信できないかなあと思っていました。
日本人の心を伝えるには古典ではないかなあと思いました。
現役を退く頃から「方丈記」、「閑吟集」(16世紀初めの室町時代の小歌集)、「梁塵秘抄」(平安時代末期に編まれた歌謡集)、「芭蕉の日記紀行文集」(『奥の細道』『野ざらし紀行』『笈の小文』など6品)、井原西鶴の「世間胸算用」などスペイン語で海外(ベネズエラ、アルゼンチンなど)で出版しました。
日本で日本語とスペイン語の対訳版を3冊(「方丈記」、「小倉百人一首」、石川啄木の「一握の砂」)を出版しました。

「スペイン語で詠う小倉百人一首」という本。
表紙には小野小町。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」小野小町
(現代訳:桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。
ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。)
スペイン語では5、7、5、7、7に合せるのは不可能に近い。
作者が言いたいことを出来るだけその通りに気持ちを伝えることを重点にしています。
掛け言葉はなかなか難しい。

「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」  猿丸太夫(5番)
(現代訳:人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいものだと感じられる。)
スペイン語は論理的で必ず主語はどれかとなっているので、「奥山に 紅葉踏みわけ」
の主語は人なのか、鹿なのかという事を決断しないといけない。
2説あるようだが私は鹿が主語と捉えて訳しました。

スペイン語で詠う百人一首コンサートを去年から発足して、ピアノを弾きながらコンサートをする。
百首について作曲していて、スペイン語で読んでもらいながら弾くことを昨年3回やりました。
ゆくゆくはスペインにも海外公演をというグループが出来ました。
「方丈記」はベネズエラの大使をしていて帰る直前に現地で出版しました。
詩が美しい、人生の教訓にも満ちているといった反響がありました。
本を読んで信じがたいほど内面の安らぎを感じます、(弟が事故に遭ったが意識不明の状態に一入り苦しいい時だったので)と言っていただいたりしました。
退官後ホンジュラスに行く機会があり、カルロス・ロベルト・フローレス大統領に方丈記を贈呈しましたが、ギリシャの哲人のヘラクレイトスにそっくりですとおっしゃいました。
「何もとどまらない。全てが流転する、君は同じ川に二度はいることができない。
なぜなら私が二度目に浸かった時には、川の流れも私自身もすでに変わっているから」
無常感は世界の色んなところにある感情だと思いました。
世界中に日本のシンパをじわじわと作って、日本の政策、考え方を理解してもらう。
そうすると外交もやりやすくなるのではと思います。
日本のにじみ出た教養、文化は向こうの首脳も当然惹きつけられて理解しようという気持ちになると思います。

高校時代に大阪でスペイン映画「汚れなき悪戯」をやっていて、スペイン語が綺麗だなあという思いがありました。
スペイン文学も深いものがあるに違いないと思って魅せられて、大阪外国語大学のスペイン語学科に行くことにしました。
スペイン語ははっきりしていて発音は日本人にはしやすい。
当時は生のスペイン語と接する機会が無く、色々考え行動しました。
スペイン語の国に住みたいと思っていて、商社か外務省位だと思って外務省に入ることになりました。
現役生活のうち30年は向こうに勤務して良かったと思います。
メキシコ(2回)、アルゼンチン(2回)、ドミニカ共和国、リオデジャネイロ、ホンジュラス、ベネズエラなどの国に勤務して来ました。
ホンジュラスではハリケーンがあり自衛隊が初めて海外派遣があり印象深かったです。
要人と知り合えたのは良かったです。
昭和天皇の通役を担当したりスペイン国王夫妻と食事を共にしたり、中南米のいろんな大統領と通訳を通して知り合えたのも貴重な経験でした。

中南米は親日的です。
日系人の方が沢山行っています。
日本人は真面目で正直だと言うことで何処に行っても定評があります。
中南米は対米感情はあまりよく思っていなくて、負けてしまったがアメリカと戦争をしたことに対しては凄いというような思いは持っています。
戦後日本が民主化して経済成長をして自分たちに援助してくれた経済援助、それに物凄く感謝しています。
そういったことで仕事はしやすかったということは言えます。
中南米に対して政府も一般の人もメディアももうちょっと目を向けて欲しいと思います。
ベネズエラの現地のラジオ番組で俳句の話をしました。
俳句をスペイン語で読んだり俳句のことについて3回位番組に呼ばれました。
退官したら、次に何を訳そうかなあと思っていましたが、関心を持ってくれる作品、その選択が難しいです。
スペインの出版社から要請があり石川啄木の「悲しき玩具」、「ローマ字日記」が今年中にスペインで出る予定です。
「奥の細道」対訳版、前にアルゼンチンから出ているが翻訳も見直しをして秋に出そうと思っています。
スペイン語は私にとって人生の伴侶だと思います。