昭和39年東京オリンピックの金メダル第一号は重量挙げの三宅義信さんでした。
身長が155cmと小柄ながらローマで銀、東京で金、メキシコ金、ミュンヘン4位と4回のオリンピックに出場し、オリンピック二連覇と、世界選手権では6連覇を達成し、当時重量挙げの代名詞と呼ばれました。
そっくりの弟さんとはメキシコ大会で 金と銅、同じ表彰台に兄弟で上がって話題になりました。
その弟の義行さんの娘さん三宅宏美さんもロンドンで銀、リオデジャネイロで銅メダルを獲得しています。
自衛隊体育学校の校長を務められた後、選手の育成や御自身が立ち上げたゴールドメダリストを育てる会の理事長として活躍する三宅義信さんに伺いました。
東京オリンピックでは金メダルを期待されていた。
ローマでは金を取るつもりだったが、取れずこの悔しさをどうぶつけていいかわからなかった。
金を取るためにはどうするか、ローマで1460日のトレーニングスケジュールを組みました。
ローマでは法政大学3年生、20歳でした。
昭和38年の世界選手権で世界新記録で優勝したので、金メダルの期待が有った。
昭和39年東京オリンピックでは競技の2日目だった。(昭和39年10月12日)
凄いプレッシャーだった。
会場は渋谷の公会堂でした。
代々木の宿泊所から歩いて10分位の所でした。
スナッチ、ジャーク、プレス3種目有った。
最初はプレスで重量が115kg、苦手の種目だった。
スナッチも115kgで予定通りだった、得意種目。115kgのスタートで6本失敗も無く通過しました。
順位はトップに立ちました。
ジャークは145kgでスタート、ほぼ金を手中にしました。
プレスは会場にいた母親の為にあげました。
スナッチは父親の為、122.5kgは親族や私を助けてくれた人の為にあげる。
一つ一つメンタルを作りました、そんな中でやっていました。
ジャークは145kgはこれを上げなければ今までの苦労が水の泡となるので、国民の皆さんの為にあげると、そういう思いであげて150kgは自分の為にあげる、152.5kgは世界タイ記録でしたが、皇太子殿下のまえであげることができました。
合計397.5kg 驚異的な世界新記録で金メダルを獲得することができました。
先生方の教育、周りとの勝たなければならないということが一致したものと思います。
宮城県柴田郡村田町生まれ、7人兄弟の5番目、6番目が義行。
養子に出され中学卒業後就職するが、自分の将来を考え自分で宮城県立大河原商業高等学校に進学を決める。
1956年メルボルンオリンピックを見て初めてオリンピックと重量挙げという競技を知る。
同じ高校生が重量挙げで8位になったのを見て自分の立場との差を感じる。
高校時代は柔道をやっていましたが、無差別だった。
肩を痛めていてウエイトリフティングを思い出して、パワーを付けようと思った。
トロッコの車輪(約50kg)を挙げる人は5人ぐらいしかいなくて彼らは柴田農林高へ行っていた。
そこでトレーニングを教えていただき、センスあるなあと褒められました。
3年の春の宮城県大会で3位になりました。
ユニホームも無く借りて、靴はなくて地下足袋だった。
10月の秋の国体ではチャンピオンになる。
いつも何で負けたの、という事を追及してきました。
法政大学在学中、1960年ローマオリンピック大会で銀メダルを取る。
金メダルを取れず東京オリンピックまでの長期計画を立てる。
練習は辛くはなかった。
メンタルな部分、人との調和、食べられないのが苦しかった。
マメができるが焼け火箸でそのマメを焼くと、水分が出て皮が剥けなくて済むので、そういったことを自分で考えてやりました。(皮が剥けなくて済むので直ぐ練習ができる)
国体で優勝して校長先生が全校生徒の前で褒めてくれて、この褒められたということが感動しました。
大学に行くお金も無く校長先生とかと話を進めて1年間は面倒を見てもらえることになる。(2年目以降は自分で対応)
何のために大学に行くのか、大学には重量あげをやる為、重量あげはご飯を食べていけない、それにはオリンピックで金を取らなければいけない、そういう思いでやってきました。
法政大学に小暮さんという軽量級アジアチャンピオンがいてこの人のものを全部盗んでこの人をやっつけないとオリンピックでは勝てないと思いました。
練習をやり過ぎだと言っては殴られたりしました。
ウエイトリフティングはスピード、タイミング、バランス、パワー、呼吸などいろんな要素がある。
呼吸は非常に大事なこと。
スピードは肝心な時にないと駄目。
タイミングは全体的なタイミングが必要。
バランスは身体全体のバランス。
パワーは親から貰った土台、自分のパワー。
この5つの要素をマスターしないと強くはならない。
明日のことを5分間考えてそれに集中することが、事故の未然の防止、練習にも影響してくる。
日常生活の中で親から、兄弟から貰ったものを身につけてければいい、人生に大きなプラスになる。
「俺がやらずに誰がやる、今やらずしていつできる」
今やらずしていつできるんだと言う事、望んでくる時にそれをやるという事が信念。
見て見ぬふりをしては駄目。
それが積み重なっていって夢、目標が到達されると思う。
オリンピックが私に与えてくれたもの、人の模範になる、いつも明るく、極めたものを真似していただきたい。