渡辺元智(横浜高校野球部前監督) ・【“2020”に託すもの】人生の勝利者たれ
高校野球の地方大会が行われているが、今年の夏の高校野球は100回を迎えます。
およそ50年コーチとして監督として野球の指導にあたってこられた、横浜高校野球部前監督の渡辺元智に伺います。
1944年(昭和19年)11月3日神奈川県生まれ、73歳。
横浜高校に入学して野球部に入部して外野手として活躍、甲子園への出場はかなわなかった。
神奈川大学に入学するが右肩を痛めて野球部を退部、大学も中途退学するが、恩師笹尾監督の推薦もあり当時黒土校長からの依頼を受け、母校横浜高校のコーチに就任したのが1965年(昭和40年)、1968年に24歳で監督に就任、2015年まで監督を退任するまで指導歴が50年、その間関東学院大学の夜間部に通って教員免許を取得、春夏27回の甲子園併せて5回の全国優勝、多くの名選手を育てていかれました。
生まれて直ぐに父が結核を患ってい平塚の結核療養所に移ってきた為、両親がいないむなしさを癒す為野球をやっていました。
田んぼの稲を刈った後の凸凹のところとか、細い道路でやったりして気持を癒していました。
法政二高は当時憧れていて補欠入学が決まったが、学費は無理ということで諦めました。
横浜高校の試験を受けて入学しました。
笹尾監督に出会いました。
厳しくて、上級生も厳しくて良く殴られていました。
親のことを思うとしがみついてやり通しました。
法政二高が全盛で他にも強い学校がありました。
横浜高校は当時荒れていて笹尾先生が横浜高校に呼ばれてスポーツによってそういった私学の学校に仲間入りしたいとスタートしたと思います。
神奈川大学に入学するが右肩を痛めて、バットで頭を殴られたような衝撃を受けました。
十何年間の思いが全て消えて行きどうしたらいいのかと思いました。
即千葉の方に逃げて来ました。
一途にやってきたことが頭の中は真っ白で見当が付きませんでした。(目標を失った人生)
荒れた生活をして喧嘩をしたり、酒を飲んだりしていました。
恩師笹尾監督のコーチへの推薦があったが、野球をやれるということで一つ返事でしたが、心構えはなにも無かった。
荒れた学校で脅かされたりしたが、にらみ合って、はったりを効かせたりしました。
お金も無くて、物をもらったものを売りさばいたりして生活の足しにしました。
監督になったときにはいまの女房と一緒になろうと思いました。
妻のお金で生徒への補助をしてやったりして、感謝感謝でした。
理念は特になかったが、笹尾監督の踏襲、他校をみてそれを見習うとかしていきました。
日本一長い練習、厳しい練習をすれば全国優勝できるであろうと邁進しました。
昭和48年に選抜で初出場、初優勝したが、夏は行けなかった。
渡辺では夏は行けないのではない化ということで、監督交代の声が耳に入ってきました。
北海道に逃避旅行をしたりしたが、生徒は気持ちよく迎えてくれて何かを変えないといけないと思って、「会話と、忍耐」という事を位置付けて練習に臨みました。
打倒原貢さん、東海大相模の存在は大きかった。
打倒東海大相模に執念を燃やしました。(家族にもめちゃくちゃ迷惑をかけました)
「青い山脈」の歌には癒されました。
昭和55年愛甲投手を擁して全国制覇を果たしました。(早稲田実業を破って優勝)
この時が分水嶺だったと思います。
愛甲選手が入ってきて物凄い選手が入ってきてくれたと思いましたが、冬に辞めてしまいました。
原因を色々考えたりしましたが、愛甲選手を家に置いたりして寝食共にしているうちに、もっと選手のきずなを強くしないといけないと思って目標を明確にたてました。
全国制覇を狙おうと、明確にしました。(愛甲投手が3年の時)
愛甲選手も不遇な子でした。
内面的に入って絆を作ろうと思いました。
愛甲選手さえしっかりすれば後は付いてくるだろうと思いました。
2年の夏に愛甲選手が戻ってきた時に、ピッチャーとして支えてくれてていた川戸選手が辞めてしまった。
川戸投手も愛甲選手とともにエースだといって、或る選手に呼びに行かせたら戻ってきてくれました。
詫びを入れて初めて二人のエースが誕生しました。
3年の夏には二人のエースで優勝することができました。
決勝は川戸投手に託すと愛甲投手も私の考えと同じで愛甲投手がグラブを川戸に託してマウンドに上がりました。
この時高校野球の理念を確立することができたと思いました。
選手を信頼する事、選手がやることであると、そういうことが分かった大会でした。
その後松坂、涌井投手など排出するこちになる。
その陰には多くの生徒が犠牲になっています。
それらの生徒たちに贈る言葉として「人生の勝利者たれ」という言葉が浮かんできました。
言霊のように毎日ミ―ティングがあるたびに「人生の勝利者たれ」という言葉を掛け続けました。
頭の中に残ってくれたのかユニホームを着れない子たちが今会うと、「人生の勝利者目指して頑張っています」と言ってくれてそれを聞いてやっていて良かったと思います。
「愛情が人を動かす」、愛情をどうやって気づきあげるか、絆とか真剣に向き合うことによって確立され、努力によって愛情という言葉が動き出す。
愛情の中には育てる為の厳しさも必要。
今後の若い指導者に対してはスポーツ、野球によって力強く生き抜くんだと人生論を教えてもらいたい。
助言者から教訓を受けて私の人生に役立っています、そこから姿勢を正さなないといけないと思っています。
高校野球を外野から立体的に見てみたいです、人生そのものだと思います。