1926年大正15年生まれ、92歳、島根県出身
子供の頃鏡を畳の上に置いてそこに映る世界を覗きこみ、空想を膨らませて遊んでいたと言います。
終戦後徳山市から23歳で上京、小学校の教師として働きながら本の装丁の絵の仕事などを手がけていましたが、36歳で教師を辞め画家として独立、安野さんが絵本作家としてデビューしたのが1968年42歳の時です。
今年は絵本作家デビューから50周年です。
繊細な風景画を始め、多彩なテーマ、楽しいアイディアに満ちた絵本を次々に生み出し、国際アンデルセン賞を始め数々の賞を受賞されています。
一枚のある一部分を描いたら、又違う紙の一部分を描いたりしながら同時に進めて行きます。
ヨーロッパでは車で走っていると駅に近づいて来るなあとか遠ざかって行くという感じがして、駅、道、川、橋とかだんだん遠ざかって行くといったようなスタイルで描いたりします。
旅をする人物はレンタカーで行ったのを馬に乗ったイメージで旅をして行く。
1977年に1冊目を描きました。
最初にヨーロッパに行った時はまるで違う国だと思っていたが、段々経っていくと、金物屋、質屋さんとか、屋根があり、みんな同じだと思うようになってきた。
「初めて出会う数学の絵本」 これは私も衝撃的で、実は数学の本とは思っていなかった。
仲間はずれはどれかとか、仲間はずれは差別を助長するので良くない。
仲間作りなら問題ない。
いろんな物をくっつけたらどうなるのかと、馬に翼が付いたとか、人に人魚姫のようにうろこのしっぽが付いたりして、藤枝さんがこれはひょっとすると「初めて出会う数学の絵本」にしたらどうかどうか言うことになり、学者の方に確かめに行ったら、数学は物は順序だててものを考えることが数学なんだと言う事を聞いてこれもそうかなと思って、それで出すことにしました。(「初めて出会う数学の絵本」の説明は内容があまり理解できない)
仲間はずれが面白いだろうかとか、背いくらべとはこうなんだよという事を伝えたかった。
子供たちの為の絵本は数学の分野、科学、旅の絵本のように絵が隠されていたり物語が隠せられたりしているが、絵本を見てもパッパッパッとみておしまいにしてしまうのではなくて、中に沢山物語が詰まっているというふうにした方がいいと思ったんです。
パッパッパッと見ておしまいではもったいないと思いました。
鏡を床においてそれを覗きこんで自分で物語、空想して遊んでいたが、さてなという感じがした。
床にどっかに穴があいて、下から電柱が伸びて来る、全部さかさまになっていて、「不思議な絵」は鏡の世界から生まれたようです。
色々空想しました。
「考える子供」を出版。
大人は、子供は物を考えないと思っている。
子供の考えから生まれくることは少ない。
子供は実は考えている、おしゃぶりをしている様な赤ちゃんでも考えている。
数学で考える、歴史を考える、しかし秘かに私は考えていてそれを覚えたからと言って大したことではない。
つまるところは本を読みなさいといいたい。
本を読むことが物凄く大切だと言うことは、子供の時に読んでなかったら大人になっても読まないかもしれない。
自分で考えると言うことは、計算の能力が早いと言うのは考えているようで機械的に考えているだけで自分で考えている訳ではない。
囲碁は小学校で習い始めて高校にはいかないで碁を打ってプロになって、しかしそういう人をコンピューターの方が負かすようになって、ショックだなあと思っています。
人間と人間がやらないと面白くない。
囲碁、将棋、ピアノ、絵などもみんな子供の時から営々とやって、人生をかけて大ばくちをしなければいけない。
大ばくちをして勝つか負けるかということになってしまう。
画家になれたというのは、運もあったかもしれないが好きだったからでしょうね。
小学生の勉強は大学生の勉強よりも大事だと思っている。
小学生の時の勉強が将来を左右するから。
字が読めると言うことは本が読める、本の中には素晴らしいことが一杯書いてある。
小さいころから本に親しんでいることで色んな感動や情報と近くなれる。
時空をこえて近くになれる。
絵は実物そっくり描けることで順位が決まると言うことではなくて、実物より離れていてもいい、絵というものはそういうものだと思う。
絵は自分の気持ちを描いているものだと思う。
「許す」という言葉が無いと絵が出来上がらない。
所が許せないもので、例えば墨を落としてしまって、木にしてしまおうとして、沢山木を描けばよくなってくるが、しかしこの木は整列条件が違う、他の人には永遠に気付かないかもしれないが自分は知っている。
その辺の何とも言えない後ろめたさのようなものが残ってしまう、しかし許すしかない。
自分の道しるべになってきたのは二宮金次郎なんです。
彼は必ず約束を守った。
約束をはたすということは道しるべになりました。