2018年7月10日火曜日

秋山邦雄(歴史環境計画研究所代表)      ・東奔西走"遺跡デザイナー"

秋山邦雄(歴史環境計画研究所代表)        ・東奔西走"遺跡デザイナー"
1943年(昭和18)年東京生まれ、大学の建築学科を卒業後、建築設計事務所に 18年間務めました。
その後文化保存関連の団体を経て昭和61年に歴史環境計画研究所を設立。
秋山さんの研究所では全国の史跡、保存指定された遺跡を保存し、整備し、公開し、活用されるまで計画の立案から実際の環境作りを行っています。
研究所の設立から32年間で130件あまりの実績があり、中には当時の通産省選定のグッドデザイン賞や当時の建設省の手作り郷土賞を受賞した作品もあります。
秋山さんは遺跡現場を訪れた見学者が、自分で考え歴史を体感できる様な環境作りを称して遺跡をデザインすると言っています。
自らを遺跡デザイナーと言っています。

東京都の利島、縄文時代の敷石住居、竪穴住居の中に石を敷いている様な遺跡がある。
(5000から4000年前のもの)
本格的には調査はこれから進めます。
愛媛大学の下条先生が遺跡クリエーターはどうかとのサゼスチョンが有ったが、一回使ったが辞めてしまって、考えた挙句に「遺跡デザイナー」ということにしました。(自称)
考古学者、古墳屋さんと間違えられる。
遺跡そのものをどうするか、遺跡を保存し、整備し、公開し、活用されるまで計画の立案から実際の環境作りを行っています。
資料館などを含めトータルに対応しています。
遺跡の整備には、
①調査研究がまず必要でそれを理解する。
②保存整備を考える。
③公開して活用する。
遺跡の説明のための看板だらけだった。
雰囲気をどういうふうに出すか、自然の状態をつくる。(縄文時代ならその時代の雰囲気)

建築設計の仕事は40歳ごろまで大阪に住んでやっていました。
その後東京に戻ってきて筑波学園都市の仕事があり、その後こっちの世界に入ってきました。
大阪芸術大学を作った時に環境が意外と影響していました。
キャンパスの近くには古墳があり、大阪から通うと古い古墳群を通っていて、いわば遺跡の中にいました。
最初歴史的なことを知りませんでしたが、目の当たりにして面白いと思っていました。
建築の対象を旧石器時代まで広げました。
1986年(昭和61年)に歴史環境計画研究所を設立しました。
32年間で130件あまりの実績があります。
範囲は旧石器時代から現代まで、場所は日本全国に渡ります。
第一号、群馬にある岩宿遺跡、考古学的にも非常に重要な日本の歴史を変えた。
黒曜石がそこから見つかった。
(*相沢忠洋によって発見された。この発見によって、それまで土器時代以前の日本列島に人類は居住していなかったとされた定説を覆し、日本にも旧石器時代が存在したことが証明された。)
掘った後なので地形を復元すればいいと思って土の中に発掘した時の状況を見せようと言うことで土の中に建物を作ってしまおうと考えました。
良い雰囲気になりました。

ほぼ同時期に千葉市にある加曽利貝塚の仕事をいただきました。
貝層をどういうふうに見せるか、発掘調査で溝状に掘られたところがあり、そこに土中のなかに建物をデザインし貝層を見せるようにしました。
加曽利の周りの植物を調べてもらったら、縄文時代の植物の残存種が残っていました。
環境全体は重要なんだと感じました。
秋田県、4000年前ぐらいのものでストーンサークルがふたつある。
秋田県鹿角市十和田大湯にある縄文時代後期の大型の配石遺跡。(大湯環状列石
遺跡の範囲が段々広がって最終的には30ヘクタールになり、世界遺産になる寸前というところです。
縄文時代の景観が保護されている。
伊勢堂岱遺跡 秋田県北秋田市脇神にある縄文時代後期前半の遺跡。
大湯環状列石よりももっと静かなところ、環境を大事にしています。
水子貝塚、埼玉県富士見市にある貝塚遺跡。縄文時代前期(約5500~6000年前)の遺跡
東京のベッドタウンが予想され、遺跡の周りを縄文時代の樹木でうめようと思い、縄文の森を作り真ん中は縄文の広場を作りました。

古墳時代のもので妙見山古墳、愛媛県今治市大西町宮脇にある古墳。形状は前方後円墳。
竪穴石室で石室を掘る時に雨水がぬけるように排水溝を作っている。
石室を横から見えるようにした。
通産省のグッドデザイン賞を受賞する。
秋田県 払田柵跡 89.4ヘクタールが指定面積、周囲3.6kmで30cm角で高さ2.7mぐらいの杉の柱で囲っている。(801年に作っていることが判るが一切文献が無い)
通産省のグッドデザイン賞を受賞する。

最初に自然の環境、歴史的環境、現代の環境をチェックするために市内を回ります。
建築の設計をやっていなかったら出来なかったことが色々あります。
本質的な価値を掴む迄が大変です。
吉野ヶ里遺跡、伊勢堂岱遺跡など住民運動が大きな影響をしています。
府中市の武蔵府中熊野神社古墳 上円下方墳。
府中に国府を埼玉から持ってくるが、持ってきた主が熊野神社の豪族であったのではないかと言われている。
保存会があり300人ぐらいいてお祭りなどもやっていると言うことです。
仕事をして一番大事なのは時代の背景、歴史の流れが重要だという気がします。
客観的に歴史を見て行くことが重要だと思います。
日本の国家が成立して行く時期は面白いと思います。
縄文人は国家の概念がなかったと思うので、大陸から入ってきた政治、経済、権力が日本の国を作り上げて行ったと思う。
1998年から始めているが、遺跡展をやって、今年もパリでやることになっていますが、ブルガリアでもやってほしいと云うことでブルガリアでもやりました。
縄文時代の展示をやりましたが、弥生時代もやって欲しいとの要望があります。