2018年7月24日火曜日

林 友直(東京大学 名誉教授)       ・宇宙への夢 果てしなく

林 友直(東京大学 名誉教授)       ・宇宙への夢 果てしなく
先月小惑星探査機「はやぶさ2号」が小惑星「リュウグウ」に到着した記憶は新しいと思います。
宇宙開発において日本が初めての人工衛星のうちあげに成功したのは1970年のことです。
人工衛星「おおすみ」 林さんはその「おおすみ」の開発に携わったおひとりです。
専門は電子工学、当時は新しい電気通信技術を用いた人工衛星に関する技術を確立するためには試行錯誤の連続だったそうです。
林さんは「おおすみ」からここまでの日本の宇宙開発の技術の進歩について一言では言い表せない思いがあると言います。
その林さんに「おおすみ」を打ち上げるまでの御苦労や宇宙開発への思い、次世代に伝えて行きたいことなどを伺いました。

日本の宇宙開発は長足の進歩と言っていいと思います。
ロケットの方の能力に合わせて乗せる探査機の方のめかたを軽くしなければいけないということで苦労しました。
私は工学部の電子工学で卒業が昭和25年で、その後15年位はエレクトロニクスの勉強をしていて、糸川秀夫先生が固体ロケットの研究を始めてそれがスタートしたのが昭和30年という事で、そこから10年色々な試験を重ねて行って、人工衛星も夢ではなさそうだということで、宇宙に本格的に取り組もうと言うことで東京大学の中に宇宙航空研究所が併設されて、そこに来ないかという声がかかって昭和39年ごろに宇宙研に出向くようになりました。
宇宙はそれまで全く手掛けたことはなかったが、糸川先生が宇宙を開拓して行くためにはロケット屋のほかに電気屋が必要であるということで声を掛けていただきました。

宇宙に上がる途中などどうやるか、上がってから観測する、自分の状態を知らせるという意味で通信が大事になります。
最初に信号を送る手段に取り組み、ようやくトランジスターが使えるようになってきて、回路をこしらえて送信機、受信機、信号の増幅、アンテナとつなぐと言う仕組みを作り上げないといけないので勉強しながら組み立てて行きました。
打ち上げの時に振動、衝撃が加わるのでそれに耐えなければいけない。
重くてもいけないので小型で軽くしなければいけないという面もありました。
試行錯誤、手直ししながら段々よくなっていきました。
電気信号を地上に記録してその原因を探り出すという仕事が舞い込むわけです。
受信した信号は記録紙の上にペン書きのレコーダーが波形を刻んでいきますが、波形を眺めて具合の悪いのは何処の時点でどこに起こったのか、それは何故かと、そういうことを探りながら進めました。
多段式ロケットで2段目への点火、3段目への点火とかあるが、3段目が燃え上がって切り離した後燃え残りのくすぶりがある。
ロケットのノズルからくすぶり煙が出て行くが、反作用でロケットを推進させる。
燃え終わったはずのロケットの燃えがらがくすぶりの煙で徐々に加速されて後ろから付いてくるわけです。
先に切り離された衛星は惰性で飛んでいるだけですが、燃え終わったはずのロケットが遂に追いついてぶつかってしまうという事故が起こったことがありました。

そのようなことは考えてもいませんでした。
その対策も色々講じました、切り離した後逆推進ロケットを付加して押し戻してしまおうと言う事をしました。
地上からの指令技術も段々とよくなりました。
長野県の佐久市にある大型パラボラアンテナの建設にも携わりました。
「おおすみ」はλロケットで直径75cm位のロケットで、その後1m位のロケットは順調に科学衛星が上がって行きました。
76年の周期で太陽を周回するハレーすい星が1986年に来ると言うことでそれを迎えうって観測しようと言う計画が持ち上がりました。
国際的な研究チームができて宇宙研もそれに参加しました。
日本では「さきがけ」「すいせい」2機の探査機を開発しました。(1986年3月)
ハレー彗星との航行点との距離が1億7000万km(地球から太陽までが1億5000万km 光で約8分)あり、そこから送られてくる電波を地球上で受けなければならないし、指令の電波も出さないといけない。
太陽電池の出力も限られてしまう。

当時の送信電力は2Wという電力でした。
1億7000万kmの先から2Wの電波で送った電波を地球上で受けなければならない。
国内にアンテナを作らなければいけないということで、場所探しから始めて苦労しました。(雑音のない場所)
「はやぶさ」2号機もこのパラボラアンテナを使用します。
ハレーすい星の観測は無事出来ました。
ソビエト連邦が2機、アメリカがICSE探査機、ヨーロッパが1機、日本が「さきがけ」「すいせい」2機の探査機、合計6機の探査機がハレーすい星の周りを群がって探査しました。
前回は1910年で望遠鏡で見るぐらいがやっとでしたが76年たってロケットでそばまででいけると言うことで人類としての知見が増したという状態になりました。
1986年はまだ冷戦時代でしたが、科学観測を通じて同じ舞台で議論しあって一緒に同じ目標に向かって観測したということはよかったと思います。
観測の発表会をイタリアのパトバで行いました。
パトバの教会の中にハレーすい星を描いた壁画が残っています。
100人ぐらいの関係者が集まりました。(ヨハネンパウロ2世の前にも伺いました。)
法王と握手して帰ってきました。

地球を宇宙から見ると人生観が変わると皆さん考えられるようです。
ほうき星の正体が幾分明らかになってきたと思います。
汚れた雪だるまをイメージすればいいと思います。
泥の様なものと氷のまじりあった天体らしくてそれが回っているようです。
噴出されるガス、それによってできたプラズマなどの観測から明らかになりました。
しっぽもよく見ると噴出したガスの状の粒粒の流れと、電離してプラズマがたなびいてるようなしっぽと2つに別れているような構造が見えるようです。

昭和2年生まれ、父が電気関係の仕事をしていたので興味を持ちました。
折り紙で折った小鳥、折るのに100ステップぐらいあります。(手先は器用な方)
宇宙開発は順送りに仕事を進めていくが、各班は待ち時間があり、私は石を磨いたり折り紙をしたりしました。
段々細かなサンドペーパーにして行きピカピカに磨きあげます。
好奇心が大事だと思っています。
中学2年の時に戦争が始まって高校2年に終戦になり、その間農家、工場に勤労動員ででかけました。
色々なことを経験してその後の役に立ったと思います。
いまではいい部品が出来上がってきて、かなり理想的な状態になってきたので良いことが出来るようになってきたと思います。
学会があり行った先の小、中、高校の子供たちへの出張授業をしています。
人工衛星は超高真空でも原子分子はいるのでそれにぶつかり段々遅くなっていって、軌道が小さくなりついには地球の大気圏に突入すると燃えて蒸発してしまう。
ロケットの能力をどんどん大きくするとそれなりに大きな仕事は出来るが、宇宙開発は予算を沢山喰うので、進めていくうえでやりにくい面がある。
電子装置が効果的な量、小電力になれば、大きなロケットでなくても宇宙開発が出来るのではないかと考えていたのでその方向に進むべきではないかと考えています。
小型ロケットで小さな衛星が頻繁に上がるということになれば、多くの若い人が宇宙に関われると思います。