フリーライターをしていた池田さんは 43歳の時に出版社の漫画新人賞に応募した
漫画家として新たなスタートを切りました
人と人とのつながりを描きたいという思いからスタートした漫画家としての日々 昭和40年代の国鉄を舞台にした連載中の作品 「カレチ」には鉄道ファンだけでなく 多くの読者が引きつけられています
作品を通じて伝えたいものは、何なのかをお聞きしました
月に1回の連載なのでそれほど締め切りに、苦しくめられることはそれほどなく、進められている
43歳で漫画家に転身 珍しい事 青木雄二先生に次ぐ高齢デビューになるらしい
自分では意識していない 現在4年目
家でそれまではイラストレーションの仕事をしていた
「カレチ」 客扱い専門車掌を国鉄ではそう呼んでいた
荻野憲二の若者が新米 カレチとして登場する
彼を中心にして様々な人達が登場する
車掌さんは多岐にわたる仕事がある 客扱い専門車掌は人との繋がりが多い
大阪車掌区に勤める荻野は非常に広く活躍する
南は鹿児島 北は青森
成長してゆく過程で様々な人達と交わってゆく
電車が当たり前に動くために多くの人が働いている事が鮮明に判る
いろんなところに色んなプロが要素要素で見えていた 書物を中心に調べる
国鉄の坂本さん等が面白い本を出版していてそれを調べた
熟読すると非常に面白い
人々の誇りを掛けたプロフェッショナルの人達の物語かなあと思って読んだ
プロフェショナルになりたい 主人公が七転八倒して対応してゆく
現在では開いている席はここだと携帯パソコンみたいなものでおこなっていたが同様なことを当時の人も一生懸命にやっていた
当時はある意味のんびりした時代であった
書店を9年間勤務 実際自分が書くように成るにはさらに10年程度かかる
時代に対する興味は有った
人々は鉄道に対してどのように思っていたのか 興味はあった
「列車紳士録」
昭和40年に父親が亡くなって仕舞う 古いものに興味があった(父が生きていた時代)
物ごころついたときから鉄道が好きだった
鉄道に関するイラストレーターをやる様になってこの仕事が一番沢山こなすようになった
物語を書きたいとの欲求は有った
より自分にしかできない事を押し進めてきた結果が最終的に漫画になった
漫画新人賞に応募して大賞に輝く 雑誌に連載される
人生を描き出す或る一断面を紡ぎ出す喜びがある
漫画家になることに対して イラストレーターとして既に独立していたのでギャップは無かった イラストレーターの仕事も並行してやっていたので、コンピューター出現以前の仕事の仕方 鉄道だけに拘わらず 興味がある
読者からの反応 この作品を書いてよかったということ 、昔旦那さんがカレチをされていた もう亡くなってしまって現在一人で暮らしている
カレチが新聞の書評欄に紹介された事がある
それをご覧になって 書評の文章の中にちりばめられた単語に反応してこれはおじいちゃんの話の中に、出てきた色んな単語があったので 今まで漫画を読んだことが無かったが 憑かれたように書店に行ってカレチという漫画を探してもらって読んだが、涙が流れてしようがなかった
とブログに書いてありこれを読んで矢張りこの作品を書いてよかったと本当に思った
何物にも代えがたい喜びです
まだ描きたいことはいろいろある
人間がからんだ事になってしまう 自然にそうなってしまう