相馬野馬追い 28~30日の日程で元の形でおこなわれる
15歳からまいとし伝統行事に参加している
旧相馬藩の流れをくむ武士の出身で、100騎の騎馬武者を統率する先頭組頭を務めてきました東日本大震災の時には中橋さんの家は津波で流され 長年連れ添った奥さんも亡くされました
伝統の祭りを元通りに復活させる事が死者に報いる事になるという思いから今年の祭にも自らも甲冑を身につけて参加することになりました
現在9頭の馬を飼っている 体調がいいと毛並みも良くなってくる
微妙に気の入り方がたずなに伝わってくる
軍者の役割を担当することになる
相馬の馬追いの全体を指揮するものと組頭への統卒の役目
今年は昨年と違って5つの集落が全部参加することになる 昨年は2つの集落が参加
宵祭 本祭 野馬駆け 平将門が千葉県流山に騎が有って軍事訓練をしていた
野馬駆けの内で一番良い馬を奉納して五穀豊穣を祈った
途中からそういうお祭りになってきた
先祖代々馬追いに参加していた
3/11には当日会社に出勤して、会議中だった 凄い揺れで天井のエアコンは半分落ち込んで 地震で駄目に成るかと思った
地震が終わって妙な静寂があった
表に出て電柱が斜めに成っていて 震災の状況を受け入れられなかった
情報で津波が来そうだという事になって現実にもどされるような感じだった
家が海岸近くだったので 非難はしたという情報が入り ほっとした感じではあったがどの程度の津波が来たかは分からなかった
地震がおさまってから1時間後に自宅に戻ったが、母親は避難していた
自宅まで5kmだったが2km帰った時点で畑にまで波が来ているので、状況をみても津浪だとは受け入れられなかった
胸騒ぎがして自宅に帰った時に、津波が来たのだと理解した
既に更地になっており なにも無かった
愕然としたと言ったのが正直な気持ち
妻からメールが入っていた(勤めに行っていた) こっちは大丈夫だったよ
落ちついたら戻るという内容だった
気を付けて戻れよとメールした その時点では安心していた
自宅に戻る途中で津波に呑まれてしまったようだ
息子も成人していて地元の消防団に入っていてその状況を遠くから見ていた様だ
今思うと息子も辛かったと思う
鳴るはずの無い電話に電話を掛け続けた 信じたくなかった
どこかにいるのではないかと思って、余震がまだあったので6時には、暗くなっていて避難所に入った
夜も携帯を鳴らしてみたりした
翌日早くに息子と出掛けて7時ごろに妻を見付けた
抱きあげられたのが唯一の幸運というか自分の手で見付けられたというのは そういう風に言い聞かせている
会えたのだからという風に考えるしかなかった
女性なのにぐちを言わずに快活な人だった
元気な姿でやっていることがやっぱり女房への供養になると思うし、天で見ていて今年もちゃんとした格好で出なさいよと見ていてくれると思う
下向いてばかりでは駄目なので お祭りが有ってこうやって自分も出続けている
お祭りなので元気な姿を見せるのが女房に対しての供養になるのではないか、と思って昨年は出ました
多分喜んでくれていると思う
鎧を身に付けた時点で侍になった様な、侍になってますね