2012年7月3日火曜日

宇野功芳(音楽評論家82歳)    ・名指揮者ブルーノ・ワルターと我が音楽人生

 宇野功芳(音楽評論家82歳)        名指揮者ブルーノ・ワルターと我が音楽人生  
(1930年5月9日 - )は、東京都生まれの音楽評論家、指揮者。国立音楽大学声楽科卒
幼少のころから音楽が身近にある環境に育つ  
1952年にワルターに手紙を出したところ返信が届きその後ワルターが亡くなる前年まで交信が続きました
ワルター没後50年の今年宇野さんが編集長になり作家 作曲家 バイオリニスト 等が寄稿したとワルター特集の本も出しています

1930年生まれ 生れた時に蓄音機があった 父が音楽好きだった  
父は牧野周一 漫談家  失業して漫談家になった 活弁家だった
話すこと、映画が好きで オーケストラがボックスに居た (新宿武蔵野館 武蔵野管弦楽団) 
映画説明するのに丁度合っていた
府立4中(戸山高校)に入学(質実剛健の校風 帝大コース)  
戦争中なので音楽の合唱班等は無かった
終戦後は合唱部で合唱していた(男ばかり) 当時は5年生だった(声変わりしていないものもいたので)ので混成合唱をして コンクールに出たりもした(他に無かった)
1位は6中(新宿高校)に持って行かれた  
卒業時は都立4高(戸山高校) 上智大学英文科に入る カトリックの学校男子が軟弱に見えた
途中で音楽学校を受ける 父親を説得した が結核になってしまう  
昭和27年に手術して 昭和31年国立音大声楽科に行く  合唱の指揮者になりたかった
卒業後は都立定時制(小松川高校 7中)の非常勤講師になる  合唱部の指導した 
最初に定時制高校の歌を聞いたときに感激した 
22人でこの合唱団は良くなると思った スパルタ教育をした 
日曜日も指導した(日曜でも夜しか使えなかった)  「故郷を離るる歌」
ブルーノ・ワルターに  22歳の時にファンレターを出す   
ベートーベンのバイオリン協奏曲 毎日のように聞いていた
友人がドイツ語をやっていて其の友人を介して彼の先生(ブルーノ・ワルターのファンだった)にドイツ語に翻訳して貰って手紙を出した。

返事が来て吃驚してしまった  大げさに言うと命の恩人 手術をしてから十数日目に其の手紙を読んで感激して大いに喜んだのが病気に対しては良かった
一回で終わらないで文通が10年間も続いた  
今年ブルーノ・ワルター没後50年になる
どこの馬の骨とも判らない東洋人に対して世界的な指揮者が良くも手紙をよこしてくれた  
アメリカに行ってから華美な迫力の有る演奏に変わった 
其の事に私はちょっと不満を感じてその事を手紙でしたためた事もあった
ブルーノ・ワルターはナチスに追われたアメリカに渡る ユダヤ系のドイツ人  
1933年にナチスが政権を取ってからナチスに追われる
子供時代から幸せな生活をしてきたがこれを機に厳しい生活に置かれる 
ドイツからパリに逃れて ヨーロッパに居られなくなって皆でアメリカに亡命する
カリフォルニアに住むようになる   手紙のやり取りが無かったなら今の私は無かった  
ブルーノ・ワルターの事を書いてくれとの周りからの話があり書くようになる
音楽評論家の道に進むようになる 指揮者になりたかった気持ちは変わらない  
音楽評論は生活の為
他の批評家はどこからつつかれても困らないように防壁を立てて書いている 

私の場合はいつ辞めてもいいという思いで書いているので厳しい評論となるのかも
いつも本当の事をいっているだけ ブルーノ・ワルターでも悪いものは悪い 
名も知れぬような指揮者の演奏でもいいものは良いと言っているだけ
クラッシクの聴き方 垣根が高いという先入観があるが クラッシック音楽は20歳になるまでに好きにならないと好きに成れない
演奏家はもっと厳しくて6歳ぐらいまでかもしれない 
3~4歳が一番良くって 6歳でピアノとかバイオリン等をやってしまわないと中学になってやったらプロに成れない
音の世界なので聞く方も高校生ぐらいまでにクラシックを好きにならないとあとでいくらいい音楽をきいても頭で聞く事になってしまう

ベートーベンはこういう人だとこういう曲なんだと そういう書いてあることをなぞりながら聞くだけで 本当に判っているのかは疑問ですね
おそらくは判っていないと思う  或る程度の感動はあるかもしれないけれども 其の演奏が判るというのは大変なことなんですよ 
眼に見えない 音楽と言うのは  旨いまずいは判るが 感動させるかさせないかと言う事でこれはやっぱり若いうちに習得してしまわないといけない
学校の音楽の先生の責任ですよ  音楽の授業で音楽が嫌いに成るので本当に残念   
私の一番驚いたのはベートーベンのシンフォニーを聞いた人は一人もいなかった
(音楽学校の声楽科) 一般大学のクラシックを聴いているが音楽学校に入った人は自分の専門しか興味はない 
そういう人が音楽の教師になった場合はそれは良い授業はできませんよ 
 
自分が演奏によってとっても演奏するという事が大変なこと
そういうのに熱心に取り組んでいる人は自分の体験を中心に授業をすれば生きたものになると思うんですよ 
借りてきた猫みたいに聞いてもいないベートーベンのシンフォニーなんかを喋るから生徒には通じないと思う  自分が好きでなきゃあいけない
合唱でも早くやるにはいい方が決まっているが 高校で合唱の名門校が有っていつもコンクールでいつも1位になるとか そういう人達は卒業した途端に、完全燃焼してしまって 合唱から離れるケースがある コンクールの弊害だろうなあ  
コンクールに物凄いハードな練習をする  
小松川高校でやったのはハードとはちょっと違って人間の心の問題として音楽をやっていたから彼女たちに通じたと思う

優勝するのは嬉しいけれども本当に音楽を好きになったか 本当に音楽が自分の血となり肉になったかと言うと疑問があると思う
小松川高校の合唱は 下町の持っている色んな苦しみ悲しみが出てくる 同じころ山の手のお嬢様学校に行ったが同じ「故郷を離るる歌」を歌っても全然違う
声は良いかもしれないが 全然故郷を離れる歌ではない 
「故郷を離るる歌」は寂しい歌なんですが 
小松川では故郷を離れる歌であると同時に人生との別れの歌のつもりで歌ってくれとそこまで言いました