小松和彦(国際日本文化研究センター所長64歳) 今も生きる妖怪
文化人類学と民族学、主な研究テーマは鬼や天狗、河童などの妖怪です。
人呼んで妖怪博士、誰も研究しなかった世界に踏み込み妖怪を学問にまで高めた 。
妖怪はどのようにして生まれてきたのか、日本人にとって妖怪とは何なのか 、子供の頃から興味があったし恐れていた。
4歳の頃トイレでくみ取り式で、そこが暗くて手が出てくるのではないかと思ったりした 。
小学校に入って怖い話をしたり、怖い映画を好んで見に行った。
大学では歴史が好きで民族学等はやるつもりはなかったが、こういった学問があることが判り民族学を勉強した。
妖怪をメインテーマにしたが、きっかけは先生と秩父の山に行きました。
民俗調査をするわけですが、皆は家族の事を調べていたが 私は「おさきぎつね」と言われた話が有り、昔蚕を飼っていてAさんのところは蚕があまりうまく出来なかったが、隣の家は旨く出来た。
じつはおさきという狐をかっている家だとすると 、ひそかに御主人の想いを組んで夜の内に其の蚕を持ってきてしまうとか 語られ方をする。
おさき狐は野生の狐と違って鼠のようにちいさ 、飼っている家ではちゃんと餌を与える。
神秘的な動物をかってたりする話で、神隠しの話等々聞いて衝撃的で、調べだした。
かっぱの伝説、河童と言う想像上の動物を信じていた人達が一杯いたので、そのデータを集めようと比較したりする研究なども行われていた。
桃太郎とはどんな存在なんだろうとか、柳田國男は日本列島の中でかっぱの伝承を調べたけれども、私は世界中の河童に類似した信仰を復元辿ってみる事をやっていた。
人類学はスケールの大きな周りから見れば妖怪なんて迷信みたいなものは撲滅しなくてはいけないように言われていたが、民族学の中では少しやってもそんなに批判されなかったので細々とやっていた。
ただ妖怪は文明が進めば進むほど滅びるものだと、殆どの人が振り向かない 。
そんなことを研究しても将来性が無いんじゃない、というような就職口も無い様な研究テーマでした。
心惹かれるものがあった。
自分探し的なものも有った。
研究者は少なかったですから。
妖怪とは一体何なのか、真正面から取り組むととっても難しい。
説明がつかない、変だなあと思う超自然的な現象、すべて昔は妖怪だと思った、昔は雷でも説明がつかなかった。
なぜあの音は出てきたのか、説明としては怨霊とか、雷神とか山の神が怒っているので出しているとか、納得のできる説明物語を作っていたんだと思います。
国家の政争の関係で敗者になって殺されたりして、恨みとかも自然現象と結び付けて語られていたりもする。
鬼の研究していると鬼の抱えている悲しい側面も見えてくる。
その複雑さが時には 日本では美学になったりする。
幽霊は成仏できずにこの世にさまよい出てきた霊なんですが、恨めしいと言って出てくるだけでなく、好きな人と添い遂げられなかったので、添い遂げたいとかつての愛人の処に出てきたり、いろいろ幽霊がいる 。
神社に祭られて御馳走お祭りをして、そこに座っていて悪いことをしない神様よりははるかに妖怪の方が人間の心みたいなものが現れたりして面白い。
人間の多様な感情を多様に引き受けているのが妖怪じゃないでしょうかね 。
菅原道真の怨霊、才能がある菅原道真が現れて藤原一門が政治的地位が脅かされるのではないかということで陰謀で失脚させてしまう。
その後道真は大宰府で死んでしまう。
自然現象の落雷で内裏が被害を受けて感電死してしまう、疫病がはやる。
それを説明するのに菅原道真の怨霊だと、神社を作って祀らないといつまでもたたりがあるということで北野天満宮を建てるが、一番それが有名です。
人間が祭ることによってコントロールする。
恨みの念を浄化させてゆくことができる、鎮魂 という。
平安時代の都作りでも、当時の権力者を失脚させてきたので、その怨霊が入ってこないように鬼門を設けたりした。
当時としては合理的な事として捉えられていた。
日本の妖怪の特徴はアジアの妖怪は中国の影響を受けている。
鬼神、百鬼夜行といわれるようになり、植物、道具とか色んな種類の鬼が絵に描かれている。
現代で言う妖怪ですね。
共通しているのは人間に対して恨みを持っている、妖怪の種類を沢山にした一番の理由は人間が作った道具だと思います。
人間が作った道具も魂を持っていて、その魂は人間と同じ様に悲しみ怒ったりしているはずだと、魂を持った道具に対してきちっとした満足するように処遇しないと捨てたりするときにも恨みを買わないように捨てなければいけない、それが根底にあると思う、
あらゆるものには魂がある、そして人間はその関係で魂を喜ばせたり怒らせたりすることができる。
其の魂を怒らせるとたたりますよと、道具も捨てるときは怒られないように祟られないようにと言うことだと思います、日本独特なものです。
江戸時代になると作家が自分で新しい妖怪を作って物語にしたりしはじめる。
世界でもこんなに豊かな妖怪文化があるのは珍しい。
その背景をきちっと歴史的に示してみたい、世界でも日本の妖怪は知られる様に成ってきた 。
妖怪とともに生きてきたのが日本人だと思う。
人間と言うものを説明しようとする時に、人間だけで説明しようとすると無理があると思う。
神様の世界から人間を見るとか、妖怪の世界にそこに人間を送り込んでみたりした時に、人間はそこの世界でどのような行動をするのだろうかとか、妖怪が人間に対して訓練を与えてくれたり 人間の世界では空を飛べないんだけれども、妖怪たちと一緒になったら空を飛べちゃったりだとか、現実の世界の法則を解き放たれた想像の世界の中で人間はさまざまな夢を実現することができる。
妖怪と言うには人間が現実的には限界を持った存在なんだけれども、想像力で限界を超えていろんなことを可能にしてくれる、それが凄く僕には大事な役割だと思います。
妖怪を通して妖怪を鏡にして人間を見る、そういう気がします。
妖怪を研究すると人間研究に繋がってくる、人間を研究することになる。
想像していた以上に真ッ昼間から妖怪が徘徊しているのが最近の現状だと思う。
妖怪のアニメーション映画等、こんな時代が来るとは思わなかった。
文化は想像力がつくりだすもの、科学的合理的な考え方だけで生きて行きましょうというそれが幸せになれるんですという風に行ってきたことの破綻みたいなものが 文明科学技術だけでは人間幸せに成れないんだよ、とそういうことの裏返しみたいなもので想像を駆使してゆくことによって人間らしさを取り戻している、そういうものと関係があるのではないかと思っている。
現代社会がちょっと厄介なくらいに科学技術、物質文明に取り囲まれてしまっていて、心の想像力が枯渇してしまっていることの証でもあるような気がして複雑です。
今までの国際日本文化研究センター所長は梅原猛、河合隼雄、山折哲雄等、そうそうたるメンバーで、私は6代目になる
歴代の所長の共通していることは、世の中の常識に捉われずに新しい分野を開拓している多様な性格を持っていて、幅広い教養を持っている。