2012年7月14日土曜日

川浪剛(僧侶51歳)        ・縁を結び支え合う

 川浪剛(僧侶51歳)          縁を結び支え合う  
日雇い労働者が多く集まる釜ケ崎で活動を行ってきた 
路上やアパートで誰にも看取られずに亡くなってきた人々の生きたあかしを残すとともにホームレスの人達の自立を支援するという活動にとりくんでいます  
川浪さんが釜ケ崎の人々と係わる様になったのはこの地で日雇い労働者として働いていた父親の影響が有ったからです
父親の仕事に劣等感を抱いた川浪さんは中学生で不登校になり 卒業後も職を転々として自殺願望に苦しみます
そんなときに出会ったのが親鸞の教えです 僧侶になることで自分を見つめ直します
多くの人の相談に乗るうちにアルコール依存や摂食障害に苦しむ一人の女性に出会います
自分は仏教に出会って支えられた 今度は彼女を支えようと結婚  治療の為に上京するものの2年で離婚  その後自ら命を断ちます
無力感にさいなまれた川浪さんは自分自身がホームレスになるという経験を経て釜ケ崎で生きる人々と共に歩もうと決意します
東日本大震災の被災地の支援にも携わってきた川浪さんに困難に有る人と同じ目線で向き合いながら共に悩み共に生きて来たものは何かを伺います

震災が起こってから4日目に全国でホームレスを支援する団体を束ねている処が有り その理事長さんが牧師さんで私に電話が有った
私も3/18に仙台に入った    釜ケ崎の活動  毎年合同で法要をしている  
1年間に亡くなった方を追悼する場です   お骨を預かっている
共同墓地を作ろうと計画を立てている    投げやりな態度で生活してきた人達   
ホームレス支援の活動を民間、行政委託の仕事を受けて行っていたが、ここで見聞きした色んなことが有りまして深い深い宗教心が有ると気付きました

ドヤを転業してケア付きのアパートに替わった所で住み込みの仕事をしてたりしていたが そこにいる時に矢張り兄ちゃんここで観音さんてどこやと言われたりする
どういうことかを聞いたら奈良で育って幼い時から母親に連れられて観音さんにお参りしていた 大阪で観音さんはどこに有るのと聞かれた
6年ほど前に路上で生活する人と友達になっていたが、 彼がこの街にはお地蔵さんがたくさんある  そこに手を合わせる人がたくさんいるので この夏にお地蔵さんすべて回ってお経をあげさせて貰ったらどうだろうかとの提案が有った  
それに賛同し練り歩いた(2時間ぐらい)
 
ある地蔵さんの裏から3~4人の人が現れて手に小銭を持っていてこれで弟分のお経をあげてくれと言われた
電柱の陰でやくざに刺されてしまって 弟分を亡くしてしまったとの事   短いお経を務めた  其の人は大きな涙を流して良かった良かったと言ってくれた
最初の葬儀  内の住職が労働組合関係の方が亡くなった方たちを毎年葬式に行っていた 
ある日 きん役(音を出す役)で来てくれと言われた
住職がお経をあげた時にお焼香は5人ぐらいしかいなかったが号泣していた  
街で炊き出しをしていた仲間たちでそのうちの一人が亡くなったとのことだった
血が繋がっていないのにこんなにも仲間の事を思われるのは、本当に尊いことだなあと思った
父親は私が生れるぐらいから鎌ケ崎で日雇い労働者をしていた  
父は昔の中等学校に通っていた  戦争の時代で 青春を謳歌することができないまま
戦場に行き、帰ってきたが積極的に社会に働いて生きてゆく道を中々見付けられなかったようです      
建築関係の仕事の後に釜ケ崎に行って日雇い労働する
自分は父親の存在を友達に言えなかった  一人悩んでいた  中学3年の時に不登校になる 家に引きこもっていた 祖母にも姉にも期待されていたが自分はそれを果たすことができるのかと段々自分を追い詰めてしまった  こんなことだったら死んでしまいたい 
人間いずれ死ぬのに何で生れて来たのだろう  

何で生きて行かなければならないのだろう  一日一日命を削ってしまう 矛盾に突き当たってしまう      にっちもさっちも行かなくなってしまった
古本屋である問答集に出会う   例えば 悟りと言っても自分が迷っていることを知る事が悟りなんだ 宗教の道と言うのは不安の中に立つ  と言っていた
その先生が浄土真宗の人だったので親鸞の言葉にいろいろ触れました
「石河原礫のごとくなる我らなり」 自分達が石や河原や礫 瓦礫のようにあつかわれていても皆さまの光を受けて一つ一つが輝きを放つ
歎異抄 唯円の書 悪人正機説 善人なおもて往生をとぐ いわんや 悪人をや 善人でさえ救われえるのだから 悪人はなおさら救われるわけではない

悪人と言う言葉が私が学校に行けなかったり、なかなか就職ができなかったりする部分である、このコンプレックスと深く共鳴してそういったものの中に道が開けるという啓示が有った   
入学案内が有り 2点解せないことが書いてあった  内は僧侶の養成学校なんだけれども仕事は斡旋しません  内の学校は仏教と言うもので生徒を教育する事は出来ない   
一人一人の中に救いを求める気持ちはある が そこを我々教師と言うもの本当は御縁を支えるだけなんだという意味合い  
例えば 自分がどんなものであっても世界中の人々が貴方をみすてたとしても貴方自身が貴方を身捨ててはいけない  自分が身捨てないという事が仏様も貴方を身捨てないことなんですよ     
阿弥陀様の本願に出会ったということはどういうことか と言うと これから自分が仲間を見出して一緒に苦労するということができる事が本願に合ったこと
「差別視線の内面化」  皆が見てる視線で自分自身で自分を切り刻んでしまう  
「選ばず、嫌わず、見捨てず」 と言う精神が浄土に精神  釜ケ崎の街を自分が見捨て、嫌い 選んでたというのを気付かされた
瀬戸内海の島のお寺を紹介されて行った  教えられた事を伝えよう伝えようとしていた  
どうしてそんなに熱心に教えを説いているのかと言われる
短い間に本当に自分がこれを生きたんだという証が欲しかった  
あれだけ悩んで浄土真宗の道にようやくたどり着けたことができたが御門徒のおばあちゃんたちは子供を産み孫の顔を見る 

その中に自分の分身が宿り永遠に生き続けると言われた時に自分はどうしたら判らなくなってた  
大阪に戻り 介護等の勉強をしたいと思った  
友人が坊主バーをやっていてそこに行ってみた 
出合いこそが人生だと 2代目マスターになった
父親の歩んでいた場所はどんなところだったのかと 釜ケ崎に戻った  
お金が実際に殆ど無かった  ホームレス詩人(橘安純氏)に出会う 意気投合してしまった
なにもかも捨てたい人達の中に入って生活してみようと思った  
私達の慈悲 其の人を最後まで助けるということは勿論出来ない  
支援者 何かをしてあげなければいけない
一緒になって生きてゆく  笑ったり 一緒にお酒を飲んだり 悲しんだり  する普通の有り方でいいんじゃないかと思った  
無縁社会  孤独死 人と人との繋がり  縁を失ってきた  
地縁 血縁 無くなる方向にきたようだが 改めて問題として浮かびあがってきたように思う