林与一(俳優) ・役者って気持ちいい
1958年に大阪歌舞伎座で初舞台を踏んだ林さん、1964年にはNHK大河ドラマ「赤穂浪士」で堀田隼人を好演して、一躍スターダムにのし上がりました。 70年近く歌舞伎や新派など多くの舞台のほか、映画、テレビでも活躍し、1994年には第2回菊田一夫演劇賞を受賞しました。 民放のドラマ「必殺仕掛け人」やNHKでは大河ドラマ、「独眼竜正宗」、「八重の桜」のほか、朝ドラ「オードリー」「朝が来た」などに出演して人気を博しました。今年第45回の松尾芸能賞功労賞を受賞しました。 82歳とは思えぬ身のこなしと色気を放っています。
今年第45回の松尾芸能賞功労賞を受賞しましたが役者をやっていてよかったと思います。 長谷川一夫の真似をしよう真似をしようと思っていて、教えていただいて真似をしていましたが、役者と言うのは真似から脱皮しろと言われました。 長谷川一夫は叔父になります。 東京に出て来た時に俺が預かるという事になりました。 曽祖父になる林又一郎(前名が林長三郎)の弟分で長二郎(長谷川一夫)になりました。(内容がわからない) 長谷川一夫からは寝ている人の起こし方から教わりました。(内弟子の心得をいろいろ教わる。 19歳)
2022年の作品の映画、2024年に「むじな峠」が公開されます。 監督が戸田博さん。 円空の役です。 お坊さんの役は初めてです。 お坊さんに近いような生活をしながら撮っていました。 「その気になれ」と言われました。 そうすると画面に出たり、舞台でもそういう風に見えるからと言う教えでやりました。
ユーチューブもやっています。 「与一チャンネル」 家では無口ですが、外に出ると話が出来るようにしています。(長谷川一夫の教え) ラジオ深夜便は大好きです。 僕は踏まれて踏まれて雑草のような生き方をしてきたので、叱られた事、ひっぱたかれた事は覚えていますから、それが肥やしになっています。 今は態度、言葉使いも気を付けなければいけない時代になってしまって、育ってゆくのかなあと心配です。 自分で知っていることをユーチューブで発信しています。
生まれが1942年、現在82歳。 初舞台は昭和32年に大阪歌舞伎座で今東光の「お吟さま」の大阪城に芸を見せに来る役者の役でした。(15歳) 変声期で困りました。 学校にはなかなかいけませんでした。 1964年NHK大河ドラマ「赤穂浪士」でしたが。19歳で長谷川一夫に居候して翌年でした。 NHKに長谷川と一緒に行った時に声がかかって出演することになりました。 原作を読んでおく様に言われましたが、大した役ではないだろうと思ってほっといておきました。 台本が出てきたら、かなりでるので、付き人が出来ないようならば出演をしませんからと言ったら、長谷川から烈火のごとく怒られました。 「俺の用をしなくてもいいから出るんだ。」と言われました。
舟木一夫さんが時代劇をやるんで教えてくださいと、長谷川のところに来ましたが、僕が担当することになりました。 どこで勉強してきたのか、立ち居振る舞いなど教えることは一つもありませんでした。 長谷川の芝居を全部見たと言っていました。 いまだに舟木さんとは大親友です。
共演する女優の人には、「女の人をいい形にしてあげることだよ。どこに自分の位置をとったら相手がやりやすいか、いい形になるかをみてやりなさい。」と言われました。 それを念頭にやったものですから、共演する女優の人達からは、「与一さんとやると楽ね。」と言われましした。 相手がかっこよく見えれば、自分もかっこよく見える、長谷川一夫の哲学です。 美空ひばりさんと5年やってからやらなくなった時に新派に出てみないかと言われました。 最初に歌手の人との舞台は断ったのですが、長谷川から怒られて出演が決まりました。 いまだに、喜美枝(ひばりの母親)さん、ひばりさん、長谷川に怒られている夢を見ます。 舞台の役、演技に関しては8割がた美空ひばりさんです。 芸の指導もしてもらったりして、あの方は天才です。 長谷川一夫は勉強してたたき上げた人ですから。 喜美枝さんからはひばりさんと二人になる時など厳しく監視がありました。 二人になる時間は舞台の稽古の時でした。
歌手の小川知子さんと結婚することになりました。 友達のような関係の夫婦でした。 仕事もお互い忙しかったです。 離婚して、別の女性と結婚して4人の子どもがいます。 芸に邁進できるようになりました。 芝居など忙しい毎日を過ごしています。 与一塾を月に一回日曜日に開始しています。 2年ちょっとになります。