2024年4月9日火曜日

追分日出子(ノンフィクション作家)    ・話を聞いてこそ、書けること

追分日出子(ノンフィクション作家)     ・話を聞いてこそ、書けること 

追分さんは1952年千葉県出身。 慶応義塾大学文学部卒業、カメラ雑誌編集部、週刊誌の記者を経て、「昭和史全記録」、「戦後50年」、「20世紀の記憶」など時代の記録する企画の編集に携わります。 雑誌の人物取材なども数多く担当しました。 著書に「孤独な祝祭佐々木忠次」去年11に「空と風と時と 小田和正の世界」を出しました。

小田和正さんとは2005年に雑誌の現代の肖像と言う、4か月ぐらい密着して取材して書く企画で、取材しました。 以降繋が出来て、当人、周りの関わった方を含めて話を聞いて、評伝と言う形になりました。 コロナ禍の4年間ずっとこれに集中しました。 メロディーメーカーとしても作詞家としても凄い人なんだけれども、こういう思いをもって、こういう悩みながらと言ったことが凄くよくわかる本です。 

最初はお兄さんの兵馬さんにお会いして、お話を伺いました。  小田薬局という薬局を戦後すぐに両親が開きました。 お母さんの一番下の弟さんの奥本さん?(90代)という人にお会いしました。 はと子とか取材の人が次ぎ次ぎに広がってゆきました。  小田さんは母親は好きだったけれど父親は嫌いだとしか判らなかった。 その謎が何だったのか、という事を含めて、実際はどんなかたがただったのか、興味を持って取材をしました。 

取材で聞きにくいことは、周辺取材をします。 周辺取材は謎解きです。 相手が許せば半日はしゃべっています。 取材という感じではなく世間話みたいです。 小田さんに2005年から取材を始めましたが、最初から面白かったという感じです。 ライブにも帯同しました。 気が付いたことなどは全部メモったり、MC(ライブコンサートなどで、曲の合間にアーティストや演奏者が話をすること)は全部録音したりしました。  会場、会場によって違いや特等もあります。 現場に立ち会えたのはありがたかったし、楽しかったです。 発見して発見を繋いでゆく。 発見があるとわくわくしていきます。      「孤独な祝祭 佐々木忠次」  佐々木忠次さんはプロデューサー。 バレエとオペラで世界と戦った日本人。 或る意味、謎解きです。 

大学では7年間好きなことをやりました。 アメリカやカナダの放浪の旅を1年ぐらいしたりしました。 地下鉄でパスポ-トから財布から全部すられた事もありました。(1970年代) 最初はバンクーバーに友達がいたので彼女を頼って行きました。 そん後はなり行きです。 小さな事には悩みますが、人生の大きな事には即決します。(そのことに気が付いたのは最近です。) 私の人生は人との出会いのみで、ひょんなことから「文章を書いてくれないか。」、と言われて始めました。 

最初のインタビューは篠山紀信さんでした。 毎月毎月やっていた仕事です。 その後大特集をしました。 

「20世紀の記憶」という22巻分の本を編集長と二人で企画から考えて、10年近くかけてやりました。 100年のそれぞれの1年がどんな年だったかと言う事で、橋本治さんに頼みまして橋本さんから100本原稿を頂いたのは、凄く記憶にあります。

人物像を書く時に他人が書くことは一切書かない、こういう人だと言うイメージは一切排除するとか、勝手には書けないので取材を通じて、周辺取材は過剰なほどやります。    固定観念で語られている人とは違う顔を見つけたいとか、その思いは凄くあります。   基本的に凄いなあと言う思いがまずあってこそ、その方を取材するという感じです。   基本的にいつも楽しかったです。 私の勝手な思い込みや、先入観は排除します。 だからこそ沢山取材します。