2024年4月19日金曜日

山崎幸子(三代目織元女将)        ・能登の美しさを手織りで発信したい

山崎幸子(三代目織元女将)        ・能登の美しさを手織りで発信したい      山崎隆(四代目織元)

創業130年余り、能登上布四代目織元山崎豊さん(64歳)と母親で三代目織元女将山崎幸子さん(88歳)です。 能登上布の特徴は軽くて薄くて細かいかすり模様。 昭和初期には石川県の麻織物が日本一になって120軒以上の織元がありました。 着物の需要の変化によって減少して、現在は羽咋市の山崎さんの工房だけが唯一の織元として能登上布を作っています。 1月の能登半島地震によって、工房の機械が壊れ断水するなど生産が一時ストップしました。 不安な気持ちで過ごしていた山崎さんですが、全国各地から励ましの声などが届いて大きな力を得たと言います。

幸子:今着ているものは40年ほど前にかすりもんでは初めて作りました。 着心地は涼しくて爽やかです。 

隆:私が着ているのは父用に作られたもので、私は15年ほど前から着ています。             上布と言うのは上等な麻織物という事です。 苧麻(ちょも)を原料にしたラミー(苧麻)と呼ばれる上質な機械紡績糸を使っています。 機械紡績糸は機械で糸がつぐまれていると言いう事です。 蝉の羽のように例えられていて、透け感、ひんやりと涼しく軽くてシャリ感のあるというのが能登上布の特徴で、夏を代表する着物の生地となります。 観劇とか食事会とか少し上品で特別なお出かけなどに最適です。 能登上布の特徴は手織りで織られた張りのある風合いと、能登独自の緻密なかすり模様、能登の風土に合った落ち着いた色合いです。

十字の細かい模様が布全体に織られています。(縦横2~3mmぐらい) 糸の段階で縦糸、横糸を先染めしています。 織ながらかすりの模様を作っています。 落ち着いた色合いになっています。 表面はコンニャク糊でコーティングされてるのでなめらかで艶があります。 簡単な縞とか無地で1か月ぐらいです。 難しいものだと半年以上かかるものがあります。  工程としてはおおざっぱに20工程以上あります。  細かく分解すると100工程ぐらいになります。 どの工程も手を抜くことはできません。

今年1月1日の能登半島地震で被害を受けました。 

幸子:外に出ようと思ったが歩けないんです。 やっと外に出て銀杏の木につかまりました。 窓ガラスが割れたり外壁が落ちたりしました。 

隆:私は当時は工房には居なかったんですが、夜3時間かかって工房に戻りました。 1階の織機は大丈夫でしたが、2階の作業場は糸の収納棚が倒れて、縦糸を巻き取る機械が壊れていました。  皆が無事だったという事が幸いしています。

織子の人たちも全壊、半壊などして、今でも不自由な生活をしている人が居て心を痛めています。  2週間断水したことは非常に困りました。

2月の頭から作業が出来るようになりました。 

能登上布の起源はおよそ2000年前に第十代崇神天皇の皇女が能登の地を訪れた際に、地元の女性に機織りを教えたという事から始まっています。 平安時代から麻を生産していたという記録が残っています。 江戸時代後期には滋賀県から職人さんを招いて染色技術を学んだと言われています。  昭和初期には石川県の麻織物が日本一になりました。 昭和30年ごろからレーヨンなどを織る自動織機が普及して、洋装化に伴い着物を着る人が減少して、織元が段々減って行きました。 昭和57年ごろにうち一軒だけになってしまいました。

幸子:昭和30年に嫁いできました。 日常に能登上布は着ていました。 この辺りはお嫁に行く時には必ず能登上布を一反持ってゆくと言う風習がありました。 お寺まいり、夏のお盆の時の盆踊りの時には能登上布を着ていきました。 祭事には10月でも着ていきました。 主人は横かすりばっかり作っていましたが、問屋から言われたりして、縦横かすりの技術を学んで、作り始めました。  私は上布を織るまでの準備の工程をしていました。 手形で来たので手元に現金が無くて困って、他の仕事として撚糸業を始めました。(横糸作り)  主人の父親が何としても続けるように言っていたので、一軒になっても能登上布を守って行こうという事は思っていました。 

隆:当時織子は70,80代のおばあちゃんしかいなくて、家業を継がなくてもいいと言われていました。 工学系の大学に進み就職は機械メーカーの電気設計の仕事を20年ほどしました。 父の片腕の職人さんが亡くなったのと、仕事上の関係もあり、家業を継ごうと思いました。  図案を描いたりという事ついては前の仕事が役立ちました。  現在16名の織子さんがいます。 半分は県外から来ています。  以前は自宅で機織りをしていましが、 今は工房に織機を設置しています。  

7年前の会社を興した際に、営業と広報を担当として姪を会社にひきいれました。 能登上布の技術の継承もしています。  能登自身の後、全国各地のいろいろな方から励ましのメッセージを頂きました。  

幸子:一軒だけ続けてこられたのは誇りに思っています。 皆さんの支えがあったからこそです。 若い方が伝統産業に関わりたいと言って来てもらえたのは嬉しかったです。

隆:この仕事を始めて20年になりました。  44歳で転職してよかったなと思います。  若い人のお陰で世代交代、技術の継承が出来てきたことが有難いと思っています。

幸子:何とかこの工房を続けて行って欲しいと思っています。 能登上布は素敵な織物だと思っています。

隆:能登の美しい自然とか、能登固有のものをかすりで表現したいなあと思っています。  能登半島には伝統産業が沢山有ります。  能登全体が元気になって欲しいと思います。