東地宏樹(俳優・声優) ・〔時代を創った声〕
ウイル・スミス、サム・ワーシントンなどの俳優の吹き替えをはじめ、多くのアニメにも出演。 ゲームの主役の一人クリス・レッドフィールド役、ネイサン・ドレイク役など。 バイオハザード(サバイバルホラーゲームのジャンル)は最初に発売されたのが1996年。 クリス・レッドフィールド役は今に至るまでやらせて頂いています。 ゲームはやらなかったです。
東京都出身、父は書家の東地滄厓。 私は書道は小学校6年で8段でした。 中学からは全くやっていないです。 書道は幼稚園のころから始めました。 母は家で書道教室をやっていました。(100人近く来ていた。) 父は酒が好きで朝帰りで、昼頃におきて演歌を聞きながら書道を書いていました。 そういった姿を見てかっこいいと思って書道家になろうかと思っていました。 海苔が好きで「のり」と初めて3歳の時に書いて、それを見た父が凄く上手だと父が喜んでいたという事を母から聞きました。 中学受験で立教中学が受かって、サッカー部に入りました。 エスカレーター式でしたが、中学3年で立教高校には行けなくなって都立高校の試験は終わってしまっていて、私立しかありませんでした。 受験勉強もしていなかったので偏差値の低い高校に行きました。 部活など一切やりませんでした。
1年間浪人して予備校に通いました。 日大の国語と英語の2教科だけの日大芸術学部の一番競争率の低いところを見つけました。 演劇学科の演劇コースでした。(9倍) 二次試験ではいろいろ演技をさせられますが、書道の道に進もうと思っていたので、演劇に進む気が無かったので演技が全然やったことはありませんでした。 でも受かりました。 1年間は書道をやりましたが、友達の影響で演劇にも興味を持つようになりました。 3年の時に書道への道は辞めることを親に相談しました。 父はOKしてくれました。 父は20歳のころに演劇に興味があったが、書道の道に進めば成功すると言われて、演劇の道は諦めた経緯があったようです。 芝居の道に進む事を決めました。
4年生の時に、ラジオCM、テレビCMのナレーションの話があり、テープをとったら直ぐ仕事の話が来ました。 卒業後も仕事をして収入は多かったです。 或る時、吹き替えの話が来まして興味を持ちました。 恋愛映画「世界の果てに」というものでした。 吹き替えのテクニックは無くて、僕だけ後日とるという事になりましたが、それでもなかなかうまくいかなかったので、自分の吹き替えの人生は無くなったかなと思いました。 2年後にまた吹き替えの話が来ました。 その時にはみんなと一緒にとったのですが、凄く褒められました。
金曜ロードショーの番組のウィル・スミスのオーディションがあり、受かりました。 『メン・イン・ブラック』の主役でした。 周りの声優の人たちは役者の方々に負けることなくやっていて、触発されました。 その後沢山の吹き替えの役を担当してきました。 サム・ワーシントンさんは凄くしっくりきました。
ゲームに関しては、洋ゲームでは様々な音質のものあり、その台本は10cmぐらいあって、何日もかけて一人でやるわけです。 「おい」と言うだけでも20種類ぐらいあります。 千葉繁さんとの掛け合いが凄くよかったと言われて、東京ゲームショウに千葉さんと僕が呼ばれて行って、アドリブで生で4,5分当てってくれと言われました。(サプライズ企画) 東京ゲームショウの人たちは喜んでくれて、千葉さんと僕もしばらく興奮していました。
先輩と絡んでやると安心感がありやりやすいです、まだまだご一緒したいです。 役者として、声優として大切なことは人柄だと思います。 一緒にやる時に、最終的には楽しい方がいいと思いますので、重要かなと思います。 若い人たちへのアドバイスとしては、制約を外した生き方をしなければ、自分の生活、生き様などが出てくるので、喜怒哀楽を演技の前に、人間として大切なものを自分の中に持っていなければ、表現は出来ないと思っているので、最終的に重要なのはその人にしか出来ない、という事で次の仕事に繋がるので、自分のパーソナリティーを磨くためには、普段の生活、喜怒哀楽をより経験が出来た方がいいような気がします。 健康を大事にしながら、逃げずに何でもやろうかなと思っています。 その後にはなんかがついて来ると思います。
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