勝木俊雄(森林総合研究所九州支所) ・桜が伝える日本人の心
勝木さんは桜など植物分類の専門家です。 2018年には日本の野生種の桜としては100年振りの新種となった熊野桜の発見者としても知られています。 日本医は山桜などの野生種や、ソメイヨシノなど数多くの桜がありますが、その歴史を調べると日本人の愛したもの、求めたものが見えてくると言います。
桜の分類と保全をやっています。 森林総合研究所は森林に関する有とあらゆる研究機関です。 木材のほかにきのことか、それから木材をどう利用加工してゆくのか、と言うようなこともやっています。 配属されたのが八王子市にある多摩森林科学園で、桜のコレクションの部門があり、桜を研究対象とするようになってから、桜の分類、保全に関わるようになってきました。 日本の桜は10種しかないんです。 ソメイヨシノなど栽培品種で種とは別の基準で区分したものなんです。 自然分類か人為分類かがあり、種の分類は基本的に自然分類で客観的な分類で、栽培品種はあくまで人が区分するものなんです。 形態とDNAを利用しながら総合的に分類していきます。 DNAの抽出は桜の場合には葉っぱを使います。
栽培品種を中心とした分類体系を再編する仕事をやっています。 分類は、わけることと、ひとまとめにするのが類なんです。 桜はいろんな人がいろんな名前を付けてしまって、違う名前を付けてしまうと、違う名前で扱われてしまう。 「大原渚(なぎさ)」と言う名前の桜が京都植物園にあって、新宿御苑に「汀(みぎわ)桜」という名前の桜があり、DNAでクローン性を調べてみたら、同じクローンだという事が判りました。 汀(みぎわ)も渚(なぎさ)も同じ意味なんです。 大原にも汀桜があるらしいと判ったんです。
平安時代に梅、桃の花見があったが、桜も見られるようになった。 梅、桃は中国から持ってきたものでした。 日本の土着のものも見直されるようになってそれが桜でした。 種で言う山桜が西日本の丘陵地帯で多くみられた。 大島桜が関東にあります。 元々は伊豆諸島だけに分布していました。 成長力が旺盛でたきぎ桜とも呼ばれていました。 大島桜は白っぽくて花が大きい。 桜は基本的には花びらが5枚ですが、花びらが多いのが大島桜の特徴です。 八重桜は大島桜の血が入っています。 八重桜の主だったものは江戸時代にあります。
花見は平安時代の上流階級の方々が雅なことをやっていました。 室町時代は武家もやるようになって、庶民レベルがやるようになったのが江戸時代です。 徳川吉宗が政策と言いう事で、飛鳥山、御殿山に桜を見るためにわざわざ作り、庶民に開放しました。 山桜が中心でした。
ソメイヨシノは江戸時代の終わりごろには広がり始めていたようです。 種類としては江戸彼岸と大島桜の種間雑種という事ははっきりしています。 人工交配したものではないと私は思います。 江戸時代には交配技術はまだないです。 染井で生まれたのか、違う場所で生まれたのか、それすらも判らないです。 有ったものを人が接ぎ木で増殖して栽培品種という事になります。 山桜の様に花と葉っぱは一緒には出ないので、花が目立つ。 山桜と違って、ソメイヨシノは大概の場所で大きくなります。 環境への適応性が凄い。 生物学的な寿命と言うのはありません。 いい環境で適切な管理をしていれば、ソメイヨシノは余裕で100年を越えます。 郡山では140年を越えています。 40,50年すると枝が枯れて来たりして木が衰退します。
野生の桜で熊野桜があります。 紀伊半島の南部に分布しています。 2018年に私が学名を発表しました。 野生種としては100年振りの発見と言う事になりました。 見過ごされていたようです。 色合いはソメイヨシノに似た感じ(うっすらとしたピンク)ですが、白からピンクにグラデーションしている感じです。
北の方は一個一個の花の咲くばらつきが少ないです。 南はばらつきが大きい。 桜前線は九州だと福岡から南下してゆきます。 温かすぎるとソメイヨシノは駄目になるんです。 鹿児島あたりですと花芽が100個出来ても100個咲かないんです。 今年ですと20個ぐらいです。 寒さの経験がないと桜の花は咲かない。 気候変動もあるかもしれませんが、都市熱の影響も相当ありそうです。 冬場の夜間の気温が町なかだと下がらない。
桜の絵本を出しています。 ソメイヨシノなども生き物だという事を伝えられればいいかなと思っています。 桜の研究は32年になります。 桜の保全へとシフトしつつあります。