池田秀一(俳優・声優) ・〔時代を創った声〕
アニメ「機動戦士ガンダム」のシャア・アズナブル「名探偵コナン」の赤井秀一、「ワンピース」では主人公ルフィーが憧れる大海賊シャンクスなど、数多くの作品を担当してきました。8歳のころから子役としてキャリアをスタートしています。 今年3月に、去年公開された劇場版「ワンピース フイルムレッド」のシャンクス役で第17回声優アワード助演声優賞を受賞しました。
8歳からスタートして今年で65年になります。 近所に児童劇団に行っている子がいてて、受けてみてはと言われ、児童劇団の試験を受けてうまく合格することが出来ました。(小学校3年生) 今はなくなりましたが「劇団こまどり」と言いました。 スケジュールは学校が終わってからでしたので学校を休むという事はなかったです。 生放送の時代で失敗もありました。 集中力は鍛えられました。 ビデオが出てきても、通しで行うので生と一緒でした。 NHKのテレビドラマ『次郎物語』(1964年)をやりましたが、30分一発勝負と言った感じでした。(中学3年生) 主役で2年間放送しました。 現場にはお手本があったのでそこから学んだものは一番多きかったです。 『次郎物語』で芝居の面白さを感じました。 1963年に民放で「がしんたれ」をやりその後「路傍の石」をやって(中学2年)、優しい監督が激論を交わしていてそれを観て素敵だなあと思って映画監督になりたいと思いました。
映画が下火になり、テレビが売れる時代になって行きました。(東京オリンピック) 『大岡越前』、『銭形平次』、大河ドラマ 『竜馬がゆく』、『元禄太平記』など多くの作品に出演するようになりました。 18歳で児童劇団を辞めて、しばらくフリーでやっていましたガ、そんなに甘いものではありませんでした。 外国映画の吹き替えを始めたのは24,5歳でした。 いろいろひどい目に遭いました。 自分には向いていないと思いましたが、或る作品でアテレコもいいなと感じて、段々自信もついてきてその気になって行きました。 アニメにも誘われていましたが、逃げていました。(違う土俵に感じた)
1978年に逃げきれなくなって出演する事になりました。 音響監督の松浦典良さんの勧めにより『無敵鋼人ダイターン3』に出演し、良い勉強になりました。 『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役のオーディションに参加しました。 シャア・アズナブルのイラストにインスピレーションを感じ、シャア役のテストを受け、その役を得ることになりました。 シャンクスを長年やっていて、久方ぶりにシャア・アズナブルをやったときに、ちょっと拗ねているような感覚を持ちました。(シャンクスを引きずったまま行ってしまったのかも)
若い人へのアドバイスとしては、何もありません。 時代が違うので大変ですよね。 「頑張ってください。」というしかないですね。 一杯痛い目に合うかもしれないですが、先は開けていると思います。