2023年11月28日火曜日

杉本昌隆(プロ棋士)           ・青は藍より出でて・・・

杉本昌隆(プロ棋士)           ・青は藍より出でて・・・

先月8冠達成と言う将棋界の偉業を達成した藤井聡太さんの師匠杉本昌隆さん、今年6月に「師匠はつらいよ」という本を出しました。 藤井聡太さんとの師弟関係のエピソードがユーモアたっぷりに描かれているとともに、将棋界の知られざる話なども紹介されています。 天才棋士を弟子に持った師匠の気持ちとはどんなものなのか、また杉本さんの将棋への愛を伺いました。

「師匠はつらいよ」は週刊誌に連載されていたものを集めて1冊の本にしたものです。  100話になって本になりました。 聡太少年が小学校1年生のころ、愛知県の東海研修会に入会しました。 私はその幹事をしていました。  一目見た時にほかの子と違うなと、センスもある、ひらめきもある、言う事もちょっと大人びていました。 発言が冷静で、特徴があると思いました。  負けると将棋盤を抱えて号泣すという一面もありました。 小学校3年生になると将来タイトルを取る一流の棋士になるなと思いました。  弟子にしたいという思いがありましたが、聡汰君とお母さんが来まして、プロの試験を受けたいので弟子にしてくださいという事で、直ぐ受けた覚えがあります。  

弟子入りにはアマ5段ぐらいの力は必要です。 プロの4段になる可能性はおよそ2割と言われていますので、なかなか積極的には弟子は取らない。 取った後も常に心配事はありますが、彼に関してはそういった心配事は全くなかったです。  弟子にした記念に一局指すんですが、ほぼ間違いなく師匠が勝つんですが、一回目で負けました。(当時小学校4年生)  当時私は7段でした。 才能に驚きました。 聡汰少年は自ら学んで成長してゆくタイプなので、手のかからない楽な弟子でした。 14歳2か月で最年少棋士デビュー。 いきなり29連勝という記録を達成します。  棋士になって一局目からの負け無しで、素晴らしかったと思います。 1年7か月で4段から7段まで昇段しました。特別でした。 その間に私は8段に昇段しました。   

私がプロとしてデビューしたのは21歳の時でした。 8段に昇段するまで30数年かかりました。 彼は4年9か月で9段でした。 彼は段とか自分の地位にあまりこだわらない気がします。 彼は攻めが得意で、決断してどんどん攻めてゆくタイプです。 私は守りで慎重に考えるタイプで全く逆です。  似ているところは一局の将棋で長く考えます。   若い弟子は自分にないものを持っています。 色々な弟子が居て、考え方が凄く参考になります。  公式戦では彼と3回対戦がありましたが、全部負けました。  肩書や段の上位が上座に座ります。 師弟の場合だと弟子が下座に座る事が多いです。 藤井8段がタイトルをもう取っていた時に3局目の対戦がありました。  彼が下座に座ってしまうかもしれないと思って、1時間ぐらい前に対局室に入って、下座のところに荷物を置いて彼が座れないようにしておいて、彼が上座に座って、「こちらで失礼します。」と一言がありました。

彼が4冠(竜王獲得)達成した一昨年、私の誕生日の日に彼が新記録を達成し、嬉しかった。 インタビューで彼が記者から聞かれて「師匠の誕生日のことは全く知りませんでした。」と答えていました。 その後「師匠への良いプレゼントができました。」と言ってフォローしてくれました。 恒例にお年玉を渡してきていましたが、受けとってくれていました。 20歳になってもう渡さなくてもいいかなという気がしましたが、教室にパソコンをプレゼントしてもらったので、お返しと言う意味合いで今年もお年玉を渡しました。

将棋連盟宛てにプレゼントを頂くという事があり、藤井8冠宛てに、バレンタインデーになるとたくさんのチョコレートが届きます。 タイトル戦は和服で指します。 彼が初めてタイトル戦に登場した時には和服一式をプレゼントしました。  着物ベストドレッサー賞に選ばれています。 

私が将棋を覚えたのは小学校2年生でした。 父に教わって将棋を指していましたが、町の将棋大会に出て、その時に審判長をしていたのが、後に師匠になる板谷進9段でした。  弟子入りしたのが小学校6年生でした。  板谷師匠は47歳の若さで亡くなってしまいました。(私が19歳 プロではなかった) 「将棋は体力」とよく言われていて、「体力がある若い時には一杯指して手を覚えるんだ。」と言っていました。 昨年棋士生活32年目にして公式戦通算600勝成し遂げる。(57人目)

「師匠はつらいよ」の中に一編「走る棋士」が日本文芸家協会の「ベスト・エッセイ2023のなかの一つに選ばれました。 文章が評価されたという事です。  対局に遅れると持ち時間が削られてしまいます。  交通機関のやむを得ない事情では遅れた時間分が引かれ、寝坊したとか、自分の責任による遅れになると、その3倍分が引かれます。 遅れそうになると走るわけで「走る棋士」を書きました。  21歳にの誕生日になるまでにプロの初段にならないといけない。 26歳の誕生日までにプロの4段にならないと退会しなければいけない。  誕生日は修業時代の苦しいことがよみがえって来ます。 だから誕生日は好きではないんです。       81歳で盤寿のお祝いがあります。(将棋盤のマス目が81) タイトル戦になると体重が2~3kg減るという事も聞きます。 頭を使うので甘いものを欲しくなる事が多いです。 対局ではあちこち移動するので、藤井8冠は大変だと思います。

人と人との触れ合いを大事にしていて、応援していただける有難さを感じています。   将棋を全く知らなかった人も、藤井8冠の活躍で興味を持ってくれるようになりました。 イベントなどには7,8割が女性です。 勝負飯、おやつがネット記事として直ぐ上がって来ます。 自分も同じものを食べたくて直ぐ売り切れになるそうです。  内閣総理大臣顕彰受賞は羽生善治さんに次いで将棋界で2人目の受賞です。